★悪―ドにやられた2018年11月09日 20:56:08

蝶か蛾か
▲10分毎に保存する方法を止めてから、いつでも保存ができるので安心していた。夕方5時からの入力作業が2時間過ぎた。ワードの2ファイルを「保存」を仕掛けてトイレに立った。帰って来てビックリというより唖然。1ファイルが消えている。あわててフォルダーを見たら、今回の保存だけでなく、何回か保存したはずの形跡がない。あの作業量を入れたファイルはどこへ消えたのか。そういえば消えたファイルに代って何もないファイルが起動されていた。
結局、泣く泣く作業をやり直す羽目になった。腹の煮え返る思いをこらえながらである。結局馬鹿ソフトと割り切る以外はあるまい。
▲1877年6月25日、官軍は完全に鹿児島の主導権を握った。それに関する西郷軍関係資料から、前ブログで登場した人物の①25日と②26日の記録。
①鹿兒島の全軍守を失ひ、惣軍引揚けとなりて担夫来る、即ち轎に入り揺々吉田に至る、敵已に蒲生に迫る、早く帖佐に行けと、帖佐に至れば又曰、加治木に行けと云ふ、然も輿夫なし、國分に行くもの帰来らば之を送らせんと待てとも々々一人も来らす、次々に運び来れる患者は轎にのりたる儘庭前に据へ並へられ、各声を限りに支配人に迫まれとも更に其甲斐なく、足歩することを得るものは自ら門前に待ち、今帰来る処の人夫を取りて己を担はしむ、残れるは重傷者四五人となる、予は漸く五時頃に至りて人夫を得て加治木に至る、此処も同しく大混雑にて其儘町家の軒下に据えられしのみ、最上鹿之助氏肩に負傷し亦担はれて来れるに会す、共に人夫を得す、日既に暮れんとする頃に及んて細雨霏々として降り来る、依て遂に此に宿することとして最上氏と共に送られて旅舎に入る、此夜より痛み大に減し気相快なり
②未明二人相前後担はれて街頭に出つれば敵の軍艦早や前湾に来り町家を目掛けて発砲す、街衢騒然たり、此日大雨、濱ノ市(旧隼人町)に至る、雨益甚し、乃ち轎上に藁筵を被ふて行く、國分を経清水(旧国分市)に至り、第三十三号の病院に入る、途中最上氏と相失す、夕方鹿兒島の人岩切某・中村某外一人入院同宿す
▲ワードにも恵まれないが、蝶にも相手してもらえなかった今年の最後の写真はどうやら蛾ではあるまいか。蝶はヒラヒラと軽やかに飛ぶが、彼等は羽をバタつかせて、まるで回転させているような飛び方をする。