★ついに開聞岳を撮影した&ワードほか2018年11月14日 21:28:47

姶良橋(別府川、国道10)から見た開聞岳
▲2018年11月14日やっと撮影できた。朝家人と今日は空が青いなと話していた。いつもテレビでは素晴らしい青空だが、我が鹿児島の空はどこか色が薄い。これなら開聞が見えるかもと期待した。一応の研究作業が終って出かけた。気になるのはレベル30まで落ちた電動アシスト車のことだ。別府川右岸のいつもの定位置に着く。見えた。画像としてはいつもこのレベルで最高の状態である。いつも必ずある雲が今日の開聞にはなかった。調子に乗って旧姶良町側の左岸へ向かう。境目の姶良橋上でも1枚撮影した。気になる自転車の電池は20に落ちている。堤防の撮影ポイントに着いた時はレベルは17だった。
▲ワードには相変わらず泣かされる。過日は3回連続ワードが消えた。復元されないので、その度にやり直しである。ただ作業1件か2件ほどでの消滅だからそれほどのショックはない。1回目は「カナ書き」を「かな書き」にする時に、2回目・3回目は「保存」をクリックした時である。一つ疑問があるのは、フォルダーに一度保存されていた別ファイルまで消えていたことだ。
取った対策は、保存はゆっくり、状況を見て、確実に実行する。そして必ず、ドロップボックスにもコピーして置く。これなら消えても安全である。同系統のOneDriveは信用できない。
▲1877年6月30日の戦。
梅雨の大雨で増水した川内川は官軍の前進を拒んでいた。そこで2日前から大口から川内川右岸を大きく迂回する策が実行され、この日渡河したのは旧鶴田町である。まったく西郷軍側は予想していなかった。
●官軍(「征西戦記稿」)
こうして電馳雷撃、変化出没、賊をしてその寡単を知らしめず、午前6時開戦す、賊兵よく拒ぐといえども我が攻撃は全く彼の不意に出たるにより一塁の設も無く、唯交互挺出力闘するのみ、我軍奮進し、所略(計画通り)の哨舎に火し、勝を川北の本軍に報ず、川村少佐は自ら左翼の2中隊(下村大尉・瀧本大尉)を督し、2隊衆に抜んでて劇闘す、11時賊軍遂に敗れ山を越えて走る※川北(カワキタ、旧菱刈町川北、国道268・川内川)
●西郷軍(「西南之役懲役人筆記」)
或日曽木郷我常山二番隊の守りを失せし報を得、よってここを引揚べしと、「この大河を敵如何して襲来せしや」を聞くに、「裸体にして銃を頭にし渡り来りし」と云う、「鳴呼、これを狙撃せざる何事ぞや」、総軍切歯すといえども及ばず、止むを得ず守りを去て退くこと里許にして湯之尾の内小田を守る※小田(幸田コウダ、旧栗野町、県道53・443・幸田川)