★炭崎を灰崎のミスとした2022年08月22日 23:04:59

▲江戸期の旅資料を作業中である。以下の資料がある。
●五月晦日大晴※1855年7月12日水曜日
一今朝ヨリ順風不宣下之關ニ昼七ツ時分迠滞船候得共少シ風直シ候由ニ而直ニ湊内ヨリ帆掛走出二里計行亦々順風振返リ炭崎之鼻ニ大鐘時分錠ヲ卸シ滞舟其夜ハ右所ニ而明シ候尤船酔等ハ無之事
●六月一日晴※1855年7月13日木曜日
一明大鐘時分ヨリ炭崎之鼻エ滞船今朝迠モ風之振直ル様子無之故今朝日出時分豊後之内田之浦トイフ處壱里計手前之港ニ而右所迠走帰滞舟上陸ニテ風呂等エ入湯終日終夜滞也但田之浦小倉ヨリ壱里也
◎この2記事は江戸へ向かった人物が瀬戸内海を船で大坂(大阪)へ向かう記事の2日目と3日目である。どうやら2日目に「風直し」あり航海始めたが、すぐに「順風振返リ」により「炭崎之鼻」に入る。さて「炭崎」が分からない。情報を集めたらこれは九州の内だ。候補となったのは「部埼」の湊である。読みは「へざき」である。今も有名な歴史ある部埼灯台がある。以下が私の解釈である。「炭崎」は「灰崎」のミスではないか。そうならば「かごしま弁」でこれを読むと「へざき」となる。「灰」は「へ」。余計だが「蝿」も「へ」、ついでにお尻とつながるあれも「へ」。それぞれ発音が違うのでお使いにならないように。私は「炭崎=灰崎」が正しいと自信を持ってそのように修正した。
 彼等は「部埼」からバックして「田之浦」へ引き返し、順風を待って大坂へ向かうのである。
▲私のまとめ作業はこの人物が江戸から帰る記事の部分で苦労している。何せ1日分の記事に50以上の地名が登場する。それもほとんどが「カナ」書き。グーグル地図と平凡社地名辞典電子版をフル活用して奮闘中である。そして気づいたことがある。彼の記述通りにすると、時々行ったり戻ったりしたのかと思うぐらいの表記順のズレがある。私はこの日記の多くの部分は、メモしておいて後日清書したものであろうと解釈した。毎日その日のうちにまとめて書き上げるには分量が多すぎる。
▲画像は蝶。少し工夫が必要だったと感じている。使用機:Nikon。