★珍しい電車を撮影したが2022年08月02日 19:16:46

▲CDを渡そうと急いでいたが、目の前の橋にカメラを据えている人がいた。聞くと、「今日は架線検査車が来る」と。そのニュースは覚えていたが、今日の今来るとの情報など私にはなかった。先ずはCDを渡すことが優先と急ぐ。その用務が済むとすぐ帖佐駅に向かった。聞いた予想時刻を気にしながら急ぐ。駅前から線路沿いに出て、建昌(ケンショウ)踏切を渡ってさらに線路沿いに西へ向かう。時刻を勘案してこの辺でと跨線橋下で待つことにした。そして数分。すぐ先の踏切の信号が点滅し始めた。かくして撮影したのが本日のキャノンデジカメの画像。場所は構造物がジャマする最悪の場所だったが、撮影のタイミングは偶然にも結果OKだったと思う。検査車はJR西日本の総合検測車(DEC741)とのことだ。
▲修理に出していたNikonは結局、部品がないとの理由で、そのまま戻ってきた。いつ外れるかも知れないシャッターでは外で自由に使うことは難しい。家の中から蝶・セミ・花をゆっくり撮影する時に使うことになるだろう。蝶・セミが動かずポーズを保つことを期待しつつ。

★エクセルで新しい暦を作った2022年08月04日 21:45:43

▲昔作った万年暦なるものがあるのだが、それは12ヶ月分が二列に並ぶ。4月分までは何とか一度に見れるが、後は操作して見るしかない。そこで、特定の年の特定の月のみの万年暦を作った(画像)。一番苦労したのは、画像の中の空白部分。月末の後部分にミスがあり、悩まされた。式の「=IF(M10="","",IF((M10+1)<=$F$15,M10+1,""))」の始まりに付けた「=IF(M10="","",」が正解だった。自分の誕生日は言えるが、その日が何曜日だったか、言える人は多くはないだろう。早速使って見よう。
▲ヤマダにお願いしていたDELL機を引き取りに行った。金額2250円。係がCDの初期化画面を見せてお互いに確認した。原因は教えてくれたがよく理解出来た訳ではない。とにかく使用出来るようになったことが有難い。家に帰り着いて、数日お世話になったRONTIER機を外してDELL機を並べた。
▲Nikonのカメラは念のためシャッターボタンの頭に少し丈夫な糸を付け、さらに胴体にその端を貼り付けた。もし間違って外れても落下は防げるようにと。代わりのキャノンデジカメは日が照る中で撮影すると画像が光に負けてほぼ見えない。おおよその加減でで撮影する。そこで、今は引退させたカメラ4台を復活できないかと奮闘中。家人は新しく買えというが、私の好みのファインダーのあるデジカメはないし、あっても手はでない。

★エクセルファイル「蔵書まとめ220805」2022年08月11日 23:38:45

▲贈呈・寄進したものを除き、私の現存蔵書を確認することにした。本棚等に多くは秩序なく並べてある。これをパソコンの横に並べ、書名・著者・出版社・発行年等(再刊年)・定価等を記入する。作業初日は70冊完了させた。発行年等は数字を入れると「昭和○○年」と出るように関数式を作成した。画像は「岩波書店」の「岩波新書」を並べてある。この状態での作業は当初予定していなかったために追加した作業である。それはネット情報で知ったのだが、新書は皆発刊順番に番号が付されるとあった。私は表に列を追加して番号を調べて、本棚に並べ直そうと考えた。表を作る前に並べておけば楽だったのに。
▲さらに関数式2つを「書名」と「出版社」を検索するために作成した。「書名」列の「❷」は私が大学で歴史学習の基本とした、いわば聖典である。私の所蔵する岩波新書は68冊、なお全所蔵冊数は450冊であるが、手刷りのいただきものも含まれる。画像の本の価格欄に「赤」のコメント付きは、予想価格。「定価はカバーにあります」とある本のカバーは無くしたものは定価が分からない。さらにお手上げは岩波新書だ。価格が印字されていないものがある。そこでネット情報を元に私の所蔵するものは仮に「150円」等としたのだ。
▲実際、450冊をよんだのかについては、以下の一文でお答えする。
山川出版の県史シリーズは全巻購入した。しかし今並べて見ると「三重県」と「鳥取県」が無い。これは無くしたり、家のどこかにあるとかではなく、ひょっとしたら購入していないのではと疑っている。私自身、開いたことも、読んだことも、全く記憶が無いのだ。
▲画像の「本種B」の一番若い番号「13」は発刊年を考慮すると怪しいが間違いではない。とすれば、並べ直しは番号順でいいのかどうか一考が必要か。

★エクセルで江戸末期の旅日記をまとめる2022年08月20日 18:47:45

▲やり始めたら途中で大障礙にぶつかった。あるべき資料が一つ欠けていたのだ。私は今までに作成した資料を旅の順番にワードからコピーして一日分づつセルに入れて行く単純作業とのみ思っていたのでショックだった。2・3日は両パソコンのハードディスク、それぞれの外付けハードディスクなど調べ尽した。どこにもない。たまたま見つけたエクセル資料には、日付・天気・地名(宿泊地)・主な見学地等を並べてあった。その元になるワード資料は何故か作成しなかったらしい。
▲そこで近くの図書館に行った。3冊の本から数十枚のコピーを作り、それを持ち帰るために。幸いコピーはそこでは係が指示通りやってくれるので安心だ。結果は該当の本は1冊のみで、合計20ページ。コピーはA4判用紙10枚で済んだ。100円払ってすぐ帰った。家ではこれをOCRで文字化した。それからはひたすらその文字化のミスを訂正する作業である。きれいなコピーだったので正解率が高く、お蔭で作業はどんどん進む。今回のミスの特徴の例は、コピーにある「いたし」が何回も「トたし」となっていたことだ。この部分のほかの変換例はなかったと思う。普通は「候」が色々な文字に化けるように、気分次第に変換するのが一般的なのに。
▲私がエクセルにいくつもの旅日記を並べる第一の目的は地名の表記・呼称の相違・変化を知るためだ。また個々の旅の仕方も興味がある。参勤交代と違って個々人の歩き方は違う。先ず一日の歩き(移動)の距離が長い、多分馬や駕籠を使っているからだと考えている。また大坂近辺から九州小倉まではほぼ全員が舟利用である。たまに山陽道を歩いた記事があるのは上陸して見物するなどの別目的の場合だ。
 今回の作業でびっくりした。「○○屋」と名乗る商人がいた。その人物は別な資料にも登場する。私は彼の店が現今の旅行社のような役割をしていたのではと思っている。エクセルが完成したらこの「○○屋」が約10回弱登場するであろうから、セルを並べて眺めるのが今から楽しみである。
▲画像はある日の蝶。これは今まさに着陸、いや着花するところである。

★炭崎を灰崎のミスとした2022年08月22日 23:04:59

▲江戸期の旅資料を作業中である。以下の資料がある。
●五月晦日大晴※1855年7月12日水曜日
一今朝ヨリ順風不宣下之關ニ昼七ツ時分迠滞船候得共少シ風直シ候由ニ而直ニ湊内ヨリ帆掛走出二里計行亦々順風振返リ炭崎之鼻ニ大鐘時分錠ヲ卸シ滞舟其夜ハ右所ニ而明シ候尤船酔等ハ無之事
●六月一日晴※1855年7月13日木曜日
一明大鐘時分ヨリ炭崎之鼻エ滞船今朝迠モ風之振直ル様子無之故今朝日出時分豊後之内田之浦トイフ處壱里計手前之港ニ而右所迠走帰滞舟上陸ニテ風呂等エ入湯終日終夜滞也但田之浦小倉ヨリ壱里也
◎この2記事は江戸へ向かった人物が瀬戸内海を船で大坂(大阪)へ向かう記事の2日目と3日目である。どうやら2日目に「風直し」あり航海始めたが、すぐに「順風振返リ」により「炭崎之鼻」に入る。さて「炭崎」が分からない。情報を集めたらこれは九州の内だ。候補となったのは「部埼」の湊である。読みは「へざき」である。今も有名な歴史ある部埼灯台がある。以下が私の解釈である。「炭崎」は「灰崎」のミスではないか。そうならば「かごしま弁」でこれを読むと「へざき」となる。「灰」は「へ」。余計だが「蝿」も「へ」、ついでにお尻とつながるあれも「へ」。それぞれ発音が違うのでお使いにならないように。私は「炭崎=灰崎」が正しいと自信を持ってそのように修正した。
 彼等は「部埼」からバックして「田之浦」へ引き返し、順風を待って大坂へ向かうのである。
▲私のまとめ作業はこの人物が江戸から帰る記事の部分で苦労している。何せ1日分の記事に50以上の地名が登場する。それもほとんどが「カナ」書き。グーグル地図と平凡社地名辞典電子版をフル活用して奮闘中である。そして気づいたことがある。彼の記述通りにすると、時々行ったり戻ったりしたのかと思うぐらいの表記順のズレがある。私はこの日記の多くの部分は、メモしておいて後日清書したものであろうと解釈した。毎日その日のうちにまとめて書き上げるには分量が多すぎる。
▲画像は蝶。少し工夫が必要だったと感じている。使用機:Nikon。