★エクセルでの凡ミスあり2023年02月07日 00:01:49

▲画像の黄色ワクが作成中の作業ファイルだ。画像自体は私が53の日誌・日記から作成したエクセル一覧表である。異変を感じたのは「フィルター」をかけた時である。画像の青四角と赤四角の全てが表示される筈であった。ところが、青四角部分のみ出て、赤四角部分がでない。表を下って行くとそこには「➋➌」などがある。なのに表示されない。試しに閉じて別USBの同じ表を出して調べると同じ現象である。さらに別の同じ表を見たら、ちゃんと出るではないか。思案投首である。
 ふと思いついたのが「フィルター」のミスではないかと。設定し直す。そしてその通りだった。何故か表の一部分、多分後半(下部)がフィルターの範囲外にしてあったのだ。ただ私が意図的にする筈がないので、そうなった原因は不明。
▲作業の過程で、西南の役(明治10年)熊本隊の戦死者名簿(明治18年)が見つかった。ただ名前を連ねてあるだけの資料で、その260名余の人名を打ち込むことになった。そして今までの情報(画像黄色四角)から、戦死月日・場所の特定を始めたが、160名余はそれができなかった。

★西南の役戦没者解明へ挑戦2023年02月11日 23:39:09

▲先駆者2名の成果も利用させてもらい、解明を試みてみた。自分が郷土誌等を元に作っていた表を参考にしたが、統一する作業は試行錯誤の連続で、まとまった一覧表は未だ不完全である。しかし約一ヶ月でなんとか表らしきものが完成した。人名・戦死月日・戦死地名がポイントである。画像はこうして作成した延7271件から、西郷隆盛・桐野利秋・篠原國幹・村田三介に絞ってフィルターして出た表である。西郷・桐野に触れたのは「A」のみで各1件。意外に感じた。この表では主役は「緑」で「B」から「G」の7資料でこれは日記・日誌より作った表で、合計9件。最後「H」の3件は「西南之役懲役人筆記」からの資料である。表の再左にある数字は資料の種別で「1、2、4、5」からは4人にかんする情報が検索されなかったということだ。私は表は細かに「A」の資料のように作るべきと苦慮していたが、画像の「緑」と「青」が気に入っている。1箇所にまとまっているからだ。特に「青」は①戦死月日②資料名③内容④戦死者名(複数もあり)⑤資料番号がまとめてあり、大いに役立つ。
ところで私の好きな人物村田三介の記事の戦死月日が「303」・「311」・「312」となっているが、「311」と「明治過去帳」から作成した表にはあった。三介は植木で乃木の連隊旗を得た人物とされる。
▲フィルターは私の研究の中でよく利用されるエクセルの機能だが、最近時々機能しない時がある。あまりに長文を検索欄に入れる(通常4件)と1件しか反応しない現象に出会った。初めてそのような経験をした。それは直後に短い単語を4つ入れてフィルターしたら正確に反応したからだ。

★何故か戦死日付が「420」(4月20日)に2023年02月17日 12:30:18

▲前ブログと重複する。私の収集した日記・日誌50余と県史料からの千数百人の懲役人の記録は、日付を念頭にそれぞれ5689行、22559行に分断して並べてある。たまたま作成時に戦死者名を別欄に記していた。だから最後にこの2つを並べる作業は予想外に早く一応の完成を見た。
①今は懲役人の記録を元にフォルダーを用い、戦死者名の重複記事を選び、比較検討している。ポイントは例えば3件ヒットして3件とも日付が違うなら、相互比較して正解を見付けることが出来るかである。
②今日の表題はその作業中に気づいたことだ。何故か「420」が次々出てくる。私の常識では「420」は現在の熊本市と周辺をめぐる最後の戰である4月20日のことだ。{?}と思いながら「戦死地」を見ると違う。幾つかの経験から、これはエクセルのミスだと思い当たった。過去も経験がある。結局、ある資料部分の549件の連続行が戦死日「420」だった。それ以上にあるかは、①の作業過程でまた発見するだろう。
※原因はコピーとペーストの何らかのミス。経験豊富だが。今回も修正作業に1時間半かかった。
▲何故か、mouse機もDELL機も動きが共通する時がある。フォルダー機能を用いると。「○○%、4スレッド」(DELL機は8スレッド)と下に表示され、これが「80%」になると動作中の印である「砂時計」が消える。時には腹が起つので強引に1セルをクリックする。すると何故か「砂時計」が消える。私「壊れるなら壊れろ」。
▲日記・日誌は基本的に「日付」から始まるが、懲役人の記録は22559行の内、3000行余は未解明である。残念だが、今回の作業でその幾つかに「日付」できるかもと思う。ただ、それは私の資料のいくつかを丁寧に修正する作業があり、うれしいような憂うような。
以下はその資料の1つ。
15.亦々夜行して竟に小國(小国町)へ出、宮原町(小国町)は夜間通行し、満願寺村(南小国町)にて天明けしかば、一軒の離家に休息せしに、巡査躰の声にて、「只今賊両人此所へ参りたるや」と宿亭に尋問せしに、「此処へ参り候得共最早黒川辺へ参る比なるへし」と答へけれは、右の者は立去けり、暫らくして又々参り、「所々相尋候へとも踪跡分らす此処へ又々参り候ば詐り留置候様」申置立去候へとも、家居の回を取囲み農人を催し来り候気色に付、両人共刀を引抜き山手を指て飛出し疾走して馳去りしに、右巡査の追捕急にして中々可遁道無之故、路傍の木立岩石の際に伏せ待受候処、足形を繋き探の銃を発し捜来り、我伏居候岸上に農兵壱人立顕れ発砲し外の同勢を呼ひ、両三名も来り已に見出さんとするに付、源藏・宗太郎両人迚も遁れぬ処と、太刀真向に差挿み荊棘を払て大喝一声各姓名を名乗て飛出しけれは、巡査其外四方へ逃散たり、是に於て伊地知を呼へとも答へす、(中略)日の暮るを待ち穴を出て見しに人影も無く漸々少し心を安し往還の辺に出たり、洞中にて所持の餅を食し居たれとも夫も已に尽き餓に臨みける故、食を求んと近傍を尋れは幸ひ一軒の農家有り、行て見れは是なん先きに休息したる家なり、因て飯を炊せ一喫し濡れたる衣を燥かしなとして儒袢一つになり、暫く目眠たる間に、捕史数拾名来りて忽ち縛に就き、伊地知宗太郎は先きに追捕の為めに砲殺されたりと就縛の後承り申候、右形行奉上申候也、
▲画像は我が家の果実の今。

★FRONTIER機再使用へ2023年02月22日 09:17:00

▲画像は今回再使用に当って改めたデスクトップ画面。極端に少ないのはほぼ全ての古いデータを整理・削除したからだ。その作業は過日ほぼ一日がかりであった。最大の時間を要したのは過去から積み上がっていた「ゴミ箱」の整理であった。少しずつ消したり、まとめて消したりと。「まとめて消します」としても、機器が思うように行かない。何故かは分からない。つまりそういうことで消す作業を繰り返した訳だ。
▲起動、ゆっくりと待ってサインイン、ゆっくりと。何事も作業は急がない。今はDELL機で作業しながら、FRONTIER機から流れるフリオ・イグレシアスの歌を聴いている。ネット関係はケーブルで繋がっている。一応windows10にしてあるので使用に耐えるはずだが、あくまでも第三のパソコン扱いである。購入したのは2013年2月17日。今やほぼ絶滅している機種ではないのか。この2年後に買った東芝ノートパソコンは使用出来るが、USBポートは3つの内1つのみが使用可能で、それは専らマウス専用だ。CD・DVD機能は私が怒って・・・・・・・・した。
▲研究作業は困難を感じていた「西南之役懲役人筆記」関係の資料点検が終り、日誌・日記関係資料へと進み、快調である。その快調さの理由の一因は、作業関係数資料を全てこの資料に並べ入れることにしたことにある。今までは疑問点があるとそれぞれの関係元資料にアクセスして調べていた、その回数が減ったからだ。さらに検索の際「田中?左衛門」とか「?」を使うことで新しく入れ込んだ資料へのアクセスが可能になった。時には「?」を2つ使うこともあるが、これは使い方に一工夫が入る。「田中??」はまずい。
▲今警戒しているのは、エクセルでのコピー、そして一括ペーストだ。先日もまたミスった。今はコピー、下へ移動、そしてペーストと慎重にしている。たとえ10回であっても、一括ペーストはしない。
▲今、流れていたフリオ・イグレシアスの歌が切れた。「リソース・・・・・・・・・・」と警告があった。そこで再度立ち上げると、歌が途中でストップしていたので再開させた。何で???