★「いさぶろう・しんぺい号」&西南の役2023年09月23日 02:58:14

▲18日夜、テレビニュースにその名称が出た。JR肥薩線の特別列車が何でと思いながら眺めていた。いきさつはテレビが詳細に伝えてくれた。そして、明日9月19日朝9時16分に鹿児島中央駅を発して日豊本線を宮崎へ向かうと。これはほっとけないと考えた。時間的には25分から30分で我が姶良市中心部に来るだろうと考えた。
 当日朝9時16分に私は自宅を出た。第一ポイントは現在建設中の姶良市分室庁舎の道路向かいの線路付近である。見るといささか草木が邪魔である。そこで網掛川を越えて錦江(きんこう)駅方面に向かった。時計を見るとゆっくりポイント探しをする時間はないと感じた。180度引き返して今度は加治木駅に向かう。あの第一ポイントには2台車が止まっている。ライバルは避けるの哲学から、加治木駅方面に向かうが、カメラを下げた人がいる。もう一度大転回して再度網掛川へ向かう。最終ポイントは網掛川鉄橋の東側の土手に決めた。
画像の写真の時刻は10時13分。私の予想時間とは大きくずれた。ニコンカメラはうまく動き、連写数枚。取り終わった時、私の右指先にニコンのシャッターボタンがくっ付いていた。そっと元の穴に戻した。画像はPrintScreenしてペイントで作成した。列車の先頭の運行標示板には「団体」とあった。
▲西南の役、1877年9月24日の某氏の日記より。所属:奇兵十三番中隊、ただしこの人物は西郷隆盛直属の護衛兵となる。
9月24日八月十八日晴、今日午前第2時比官軍四方より一同時の聲にて炮聲大に轟き、勢ひ破竹の如く、自身儀は院中江苦居候に付、落城の上者殺せらるるは必然の事にて、決死に格護罷居候処、未夜も明さるゆへ、炮聲を聞計、味方ささえの炮聲も不聞、次第に炮聲も近つき、早暁に至り官軍城山え攻撃、自身病院へも攻込に相成、已に殺さるる賦に存居候に、病室四方より銃刀を以て突破せらるる、時に巡査隊の隊長と見認し人、一分隊位を引卒して入来、暴攻(行)不致候様との指令にて治り、院中の人員に問はるに降伏か否哉とて聞(促)され候、患者各降伏の返答候、其尽助けられ、西郷・桐野・村田其他先生衆即時討死の趣伝承し、諸塁台江配兵は、夜明に至り死残りし者は、銃器・刀を捨て、病院江迯込者もあり、城山江潜伏する者もあり、遂に縛せられ、或は顕出して降を乞ふ者もあり、岩崎内味方3軒の病室に自身入室の外、2軒に者院中江攻込、患者尽く殺害し、2室共に其尽火を放ち、死骸共に焼失せり、焼死人20人位の由、実に混雑なる事、記戴するに難尽、本日午前5時比より炮聲止み弥落城治(おさま)り、※自身病室に者賊病院の故、見物人数日幾千人為不知、誠に遺憾なる哉、即日より官より御引受け御賄等下り、人夫を立て病院不潔にあるを清潔に掃除等御手当に相成、外国人も3名検査として入来、病院門には護兵を置るる、官医等も検査に相成候て、直に療養被成下候事【20024235】:(1)※「自身病室に者」以降の文は25日以後の事実を記す。

コメント

トラックバック