★薄いが確かに開聞岳が見えた&記録から2018年12月31日 00:49:27

▲年末の様子を見ようと、好天につられて自転車で出た。風は強くはないが、空気が冷たい。空はほぼ快晴、遠くの霧島連峰も見える。ただ桜島は山肌がはっきりしない。しかしひょっとしたらと思い、自転車で別府川へ向かう。この前撮影の成功したポイントに着いた。残念なことにニコンを忘れてきた。手にあるのは家人が使わないので私が借りているキャノンのカメラ。画面に自分の顔ほか映り込むのでカメラの方向が正しいか、気になりながら最大限度の望遠にする。そして撮影した画像はその場では写っているか確認できなかった。川を渡って旧姶良町側堤防にに出て、ベストポイントで撮影した画像は失敗だった。
▲都城壊滅(24日)の次の日の1877年7月25日の記録から。記録者は旧飫肥藩家老を務めた人物である。
●25日一晴一雨○早朝都ノ城敗れたりとの風説あり○刀剣は先日已に本宅より運ひしかとも、槍四本・薙刀一本・陣笠三つ猶残り居たれは山荘に運ふ○午前9時外ノ浦に当りて大砲数発相聞えけれは、復官軍の寄たるよと取急き本宅に帰る○都ノ城の敗にて西川内より通り来る残兵数百人多く佐土原兵なり、酒谷口・板谷口危しとて、外ノ浦出張の兵櫛間出張の一小隊追追引上け来り、残り一小隊は明日引上の筈なりと云○晩景抱膝庵に帰る
※外ノ浦(外浦トノウラ、日南市南郷町潟上、国道448・外浦港)
※西川内(ニシガワチ、旧藩期の上酒谷村をいう、日南市酒谷甲、国道222・酒谷川)
※佐土原(旧佐土原町上田島、国道219・県道44・三財川)
※酒谷(日南市酒谷甲・乙、国道222・酒谷川)
※板谷(イタヤ、旧北郷町北河内キタガワチ、県道33・広渡ヒロト川・鰐塚ワニツカ川)
※櫛間(串間、串間市西方、国道220・448・県道112・福島川)
◎今日は7月26日の資料を扱った。わずか1日の間に終った。理由は記録者の数が減ったからである。