★パソコンの調子&地名探し2024年02月11日 11:22:31

▲パソコンの最近。
①以前記したUSBに保存したが、実は保存されていないとの現象にイラついた。そこで今家にある使用可能な11のUSB・SD全てにDELL機での作業終了の時に情報を入れ、mouse機に繋いで確認する。何故か3日ほどして全て合格した。
②そこで以後はUSB3個とSD1個さらにいつも繋いでいる東芝携帯ハードディスクの5つに絞って過ごすことにした。ところが昨日またその現象が起き、SD1個のみが保存している。しばらく様子を見よう。
③なおmouse機の「終了しない」現象もこの2週間はない。
▲画像は作業の一端を示す。以下3行は現在作業中のエクセル一行に入るように行幅を考えてある。
原文:二月十八日(四月一日)堤之原池本の諏訪神社にて武運祈願祭
現状:▲池本(不明、旧知覧町永里ナガサト)
代案:
◎「原文:」は元資料の抜粋、「現状:」は現在の不明のままの地名説明、「代案:」は新しい訂正文、ただし多くは「なし+日付」となっているのが残念である。
ここでは「代案」はいずれ「※池本(イケモト、旧知覧町永里ナガサト堤之原、諏訪神社、溜池、県道232・堤之原バス停)」としたい。ストリートビュー2012・2013年に神社鳥居が見えた。ただ「諏訪神社」かどうかがまだ確認できていない。近くに灌漑用水池があるがそこにある記念碑には「溜池」と。何で地区名を記さないのか。近くのバス停の「堤之原」でいいではないか。
▲「新村」が見つかった。
最近は地理院地図には大字クラスは濃い黒で、小字らしきものは薄い黒い色で表記してあるようだ。「新村」は私の資料では3行の形式で以下のようになっていた。
原文:時に警視隊新村前面の1要塁を取る(此塁を呼て象ヶ鼻と)(下略)
現状:▲新村(不明、旧植木町)
代案:
 それは地理院地図を見ている時だった。道と道の間に「新村」と薄い黒色の文字が見えた。ここで試したのが「○○公民館」とするテクニックだ。滅多に当たることがないが、この日は当たった。かくして代案は以下のようになった。
●代案:※新村(シンムラ、熊本市北区滴水タリミズ、滴水2192-2新村公民館、桜井小学校)
なお、小学校区での調べでは「滴水」となっている。またGoogleストリートビューの車は公民館手前までなので、画像確認はできなかった。
▲画像は国土地理院地図より作成。このような表記が大いに助けになる。私の資料でも、大きな地名辞典(事典)でもその表記では附近の住人以外は分からない。このような地図があれば私の研究はわずかな期間で完成するのだが。歴史は時間と空間の産物。時間は過ぎているが歴史・事件の起きたその空間は永遠に残るのだ。

★小字(こあざ)探しを小学校区に求めて2024年02月06日 12:24:05

▲それは「角川日本地名大辞典」の鹿児島版の「小字」一覧のOCRが失敗に終わったことに始まる。OCRは手で打ち込む苦労をなくするので今までよく利用していたが、これはあまりにも文字が小さく、おまけにさらに小さなカタカナのルビがあったことも原因であったろう。
▲私は、私の作成した西南の役資料に出てくる地名(広い意味、固有名詞)「✖✖」を、その現在の位置「○○町大字□□小字✖✖」、可能ならその「番地」まで特定したいのだ。私のそのまとめファイル「4★地名実数(3訂)(提供用)210613」にある総数は11497件(別称などの重複も含む)。そのファイルの13番目から21番目は、海軍造船所・伊集院郷・県庁・西郷氏家邸・西京・田海村・榕城浦・慈遠寺・私学校である。そして未だに1000以上が明確にできていない。
▲今や本来の意味での「地名」に限定すれば、平成の市町村合併の余波で消滅・変遷している。だから現在の地図上で古い地名を拾える機会は少なくなった。私が研究作業で用いた道路地図は古いものは1998年、新しいもので2009年。中に私の苦闘のメモが残る。当時の地図にあるバス停名は貴重な古い地名を残すものであった。今は新しく「○○団地前」である。そして今やバス停そのものが消えてなくなっている。頼りにしていたのに。最近はGoogleのストリートビューが素晴らしい。古い情報を入れてくれている。
▲ある日ふと思い当たった。それはある市の小学校校区を見ていた時だ。そこに地区名が並んでおり、これは昔からの古い小字ではないかと確信した。
①そこで市町村ごとにその小学校校区割を調べることにした。作業で一番疲れたのは、熊本市の小学校区に取り組んだときだ。90以上ある校区を資料化するのに3日かかった。
②その後取り組んだ熊本県の市町村では「御船町」の校区がネット上に発見できず、「AI」に頼んだら教えてくれた。それを正しいと思うことにした。
③資料総数は1981件(先頭に大分県中津市字名資料がある)。追加予定は「御船町」の分まで作成して352、いずれ1981の下方に追加する。
▲画像は玉名市玉名岡のGoogleストリートビュー画像より作成。
結果、「※岡村(不明、玉東町)」が「※岡村(岡、熊本県玉名市玉名岡、岡バス停、「地名箋」玉名郡玉名村字岡)」と改訂された。

★小字を並べる&USBの不調?2024年01月25日 11:37:21

▲3日間弱で「小字(こあざ)」の抽出をした。OCRを使うことも考えたが、今回は資料を見ながら手で入力した。ただ期待した情報はほとんどなかった。地名が地形形状などの「自然地名」に限定されていた。592件のデータ全てが熊本県関係である。地名の始祖であるので大事に保管する。
▲今のパソコン活動下での悩みは、DELL機でUSB等に保存された情報(しっかり確認済み)をmouse機に繋ぐ、開く、ところがそこにあるのは古い情報。簡単に言えば「保存しなかった」と同じ状況である。仕方なく1USBを持参して、再度DELL機を起動して、保存し直そうとすると何とちゃんと保存されているではないか。それでも再度保存し直して、さらに全く別のカードにも保存して2つを持ち帰る。
①少し前には3USBのうち1つだけには保存がされていて再度の手間を省くこともあった。また携帯ハードディスクに残っていて助かった。
②ある時は確かに日時の通りに保存されていたので、クリックしたら開かない、よく見たら「0」バイト。
③mouse機で保存したUSBを持参して、DELL機で開いて「アレッ」と思うことは一度もない。
▲今日の失敗。それは昨日の続きである。昨日一部のファイルを「OneDrive」に保存しようとした。USBの代替・補完の役をさせようと。ところがものすごい量のファイルを勝手に呑み込み始めた。私が取った手段はシャットダウン。そして今日気づいた。相当数の情報が吞み込まれている。そこで削除を始めた。しばらくして気づいた。デスクトップの30余のファイルやフォルダーその多くは消えて、縦1列が残されているだけだった。
 明日はmouse機のそれをコピーして来て作り直しだ。
▲期待したほど雪は降らず、画像はその小雪の庭。

★宝満峠と娑婆神峠2024年01月14日 21:34:05

▲知り合いの「AI」君は両峠は最初は「同じもの」との見解であった。さらに問ううちに、「別物」としたが、詳細は教えてくれなかった。
①原文(1877年3月30日)
別働第三旅団参謀中村尚武中佐の報に曰く「午前3時小川駅を発し、3隊に分ち、1隊(迫田)は寳満越、1隊(三間)は娑婆神越よりし、別に鎮台兵(別働第一)1中隊(中村)を以て応援として、午前6時開戦す、時に霧雨咫尺を弁ぜず、白岩・寳満よりする者は城山及び隣近の山頂より発砲し、娑婆神越よりする者は高きに拠るを以て1隊を2分し左右の山上より進攻し、共に数所の塁を取て谷口村に陣し、哨を張る、死傷・鹵獲左の如し」と※宝満越(不明、宝満峠、小川町南小野~城山北麓~旧豊野村上郷か)※娑婆神越(娑婆神サバガミ峠225m、旧小川町中小野ナカオノ~旧豊野村下郷シモゴウ、県道244)※白岩(白岩シライワ、旧小川町北海東キタガイトウ)【30022079●巻22衝背軍戦記】
②原文に「1隊(迫田)は寳満越、1隊(三間)は娑婆神越よりし」とある。当然別物と理解できる。私のエクセル「3★全地名検査(3訂)(提供用)200310」で「娑婆神峠」を検索した。検索用語は「サバガミ」(半角)だ。※(2)は2回。「松橋山手峠」は私が解釈した。
娑婆髪坂・娑婆神峠・鯖上峠(2)・鯖神峠・砂破神峠・シャバ神越・松橋山手峠・娑婆峯(2)・娑婆神嶺(2)・娑婆神・娑婆髪・娑婆神山・沢上・娑婆カ峯・サバカミ・サバカミ越・娑婆カ峯(2)
なお、「宝満峠」はまだ正確に表現できないのが無念である。
▲画像はグーグルストリートビューを元に作成したもの。橋左側に「福橋」とあると見た。
①原文(1877年3月26日)
同二十七日早天に官軍来攻し力戦すと雖も遂に敗す、此時将児玉八之進の曰く「数奇敗衄何の面目ありて世に処ん」と、挺身軍を指揮し、遂に丸に中り死す、此日死傷四五十名余と云、夫より小川に退き福橋の堤を守る※福橋(不明、旧松橋町)【12207011】:(4)※26日と解釈した。児玉八之進(児玉実直)。
②不明を以下のように訂正したが。
※福橋(フクバシ、宇城市松橋町豊福745の南、浅川)
③「AI」は「福橋」を「あります」と2回保証してくれた。それを頼りにして見付けた。但し画像で確信しただけかも知れない。

★「空申」はミスだった2024年01月07日 10:41:52

▲今新しく「訂正報告‥‥」と名付けたエクセルファイルを作成した。以前作った同様ファイルに代るものだ。きっかけを作ったのが、表題の「空申」だ。
①資料作成当時からの経験で、この2文字を見てすぐミスと判断した。正解も分かっていた。「空中」である。一応原文と照合もした。
②ミスの原因は私を何年も悩ましているOCR作業上のミスである。私はOCRできなかった(古過ぎて)「征西戦記稿」は一字ずつ全て打鍵した。ただそのミスより、「懲役人筆記」等の作成に用いたOCRのミスが圧倒的に多い。今はほぼ完成しているが、やはり時にこのようなミスに出くわす。
③今回、一目見れば経験上すぐ分かるようなミスが見逃された理由は、この一文には「日付」を付けることができず、つまり資料として外してあったからだ。そのように資料にできなかった一文は「懲役人筆記」では3582件(全22553件の内の)ある。
④今回のOCRミス発見直後に発見したのは「山申」である。記事から推してこれは「山中」である。そこで「戦申」、「夜申」、「水申」等で検索したが、これらはいずれも皆無であった。ただその過程で見付けた別なミスが「能居」である。これは「罷居」が正しい。
⑤発見後の次なる作業は既に作成してある配布用のDVDを訂正することだった。合計10枚を間違いなく訂正した。一字のミスで、資料の価値を棄損する可能性は弱いのに、ミス発見の度毎にDVDの訂正は負担を感じる。そこで冒頭のファイル「訂正報告‥‥」の作成を考えた。
▲そのエクセルファイルは「字句訂正」・「日付訂正」・「地名訂正」の3シートである。
①一番イヤなのは「日付訂正」。これは資料作成の根本を揺るがす、多くの作業をもたらす。資料は日付順でまた所属隊名順であるから何段階もの作業が必要だからだ。また作業の必要性を再確認するまでしばらく今のままで、記録だけして置く。
②一番好きな作業は「地名訂正」だ。「不明」の文字が消えると一杯いただきたくなる。毎日10数件の不明地名解明に取り組み、多くは完敗の有様だ。
③最近考え付いた。「坂の下」・「坂下」は地名ではないのではと。下り切った地点の意味ではと。同様なら「坂の上」・「坂上」、「川上」・「川下」も。
④ある資料に「逓左して」とあった。これは前後の文章から「迤(ナナメ)左して」が正しい。すぐ原文「征西戦記稿」を見る。何故か活字がかすれてはっきりしない。「逓」としか見えない。しかしそれでは前後の文の流れに合わない。なお、「征西戦記稿正誤」にもその記載はない。
▲画像は庭のバラ。前日に撮ろうとしたら、ニコンのシャッターが機能せず撮影できなかった。パソコン2、カメラ1、全て限界に近づいている。