★壁紙騒ぎ続き&不明地名調査での新決断2020年06月10日 11:15:57

我が家の庭の蝶
▲これを書く前にGrooveミュージックを起動して、フリオ・イグレシアスを聴き始めた。デスクトップ画面いっぱいに彼の画像が出た。左右2人の人物のうち左側は確かに本人である。右側は分らない。このCDの画像は本人一人の上半身、そして笑顔のカラー写真である。何故その画像でないのか。
▲不明調査にうんざりである。全く手掛かりが掴めない。この数日の経験で1つの確信を得たことがある。それは西郷軍が南方からの政府軍に押されて熊本へ退却し始めるが、その際彼らは旧山城(戦国時代)を利用して抵抗し、官軍側はそれを1つずつ潰して進んだのではないかと。官軍側資料(「征西戦記稿」)は「○○村へ進み、○○山を攻める」という記述をしている。つまり村名と山名(山城跡)が一致する表現方法である。そこで私は想像する。原本編纂時点で山名は不明であり、村名をそのまま山名としたのではと。
まだこれを正解として全ての関係ファイルまで修正したわけではないが、「不明地名調査用」(エクセル)においては以下のようにした。
①原文(「征西戦記稿」、別働第二旅団、3月30日)
▲②諸隊皆勇進す、撰抜隊は曲野山の東麓より進み、曲野村に至て止る、八木少佐・松浦大尉等の部下浦河内の賊塁を抜き且つ其東なる山丘の賊を撃て之を破る、然れども本道の賊は久具村の北を流るる小川を沮し、其橋頭に巨塁を列ね頻りに砲弾を逆射して拒守最も勉む※曲野山(不明、旧松橋町曲野)※曲野村(マガノ、旧松橋町曲野、国道3・266・県道181・明神ミョウジン川・久具クグ川)※浦河内(ウラカワウチ、旧松橋町浦川内、国道218・県道313・大野川)
●現在:※曲野山(不明、旧松橋町曲野)
●修正:※曲野山(道徳山133.2m別名荒平山・微雨山、旧松橋町曲野マガノ)
理由:旧松橋町曲野で一番高い山で熊本へ進軍する方向(北)にある。
②原文(「征西戦記稿」、別働第二旅団、3月30日)
▲④午後6時過ぐるに及び狙撃隊兵若干溝洫の中を匍匐して賊塁に近き銃槍を揮ふて進む、山崎剣を揮ひ衆を励まして本道より突進し砲塁に薄る、兵卒富永万藏先ず賊塁に登る、瀧貞美中尉の1中隊亦その右より進み、我兵斉く進む、賊遂に拒くこと能はず、砲塁を棄て内田山に退く、賊を塁内に殪す事7人、山砲1門及び弾薬小銃10数を獲たり※内田山(不明、旧松橋町内田ウチダ)
●現在:※内田山(不明、旧松橋町内田ウチダ)
●修正:※内田山(白岩山221.2m、旧松橋町内田ウチダ)
理由:松橋町内田で一番高い山で熊本へ進軍する方向(北東)にある。そば(東)に激戦地娑婆神峠がある。

もし旧松橋町(現宇城市松橋町)で、私のCDを配布する機会があれば喜んで反論を受け付け、すぐ修正するつもりである。
私が望む1400余の不明地名解明には実は「全国地名手配」が必要である。
②にある人名「富永万藏」、「瀧貞美」は戦死者名にはない。この日1877年3月30日のこの方面の官軍戦死者は72名。西郷軍側は私のファイルではこの方面戦死はこの日6名、もちろん洩れが多数あり、実態は10倍以上か?。