★「征西戦記稿」の誤り2021年04月12日 12:37:36

▲ほとんど私の打鍵ミスや見落しが原因であるが、この日明らかに「征西戦記稿」原本の誤りを発見した。それもいつものように「西南記傳」のお蔭であった。
 画像の2段目の右セル(「724」の黄色のセル)にある。それを左の「西南記傳」部分にコピーして、いつものように、そのPDFを見ながら、打ち込みを始めた。「山川中佐、別働第一旅団高島少佐」、エッとなった。別働第一旅団で高島なら「高島少将」であろうがと、「少佐(少将)」と替えようとした。「725」、7月25日、高島少将は飫肥方面へ行くように命令されている、それに大体ここで「別働第一旅団」が出てくるのがおかしい。画像1段目に出ている「高島少佐」は「黒川大佐(手紙の主)」の部下に当り、しかも「別働第二旅団」である。「山川中佐」も同じ旅団である。結局、「高島少佐」と替えることで修正は終った。ワード1・エクセル2のファイルを起動し、修正をした。
 念のため「征西戦記稿」の「正誤訂正」編で確認するとなかった。見逃されていた。。
▲「西南記傳」の作業も大きなヤマ場を終った。1877年7月24日、アッケなく西郷軍は都城を失った。
①別働第三旅団は本隊及び左翼の二方面に分れ、午前3時斉しく栗谷を発し、右翼新徴募隊の六番小隊、先づ財部の賊塁に薄り、之を攻撃せしも、薩軍勇敢善く戦ひ、隈元少尉之に傷けり。
②上田中尉、兵気の沮折せんことを慮り、八番小隊を率いて敵塁に肉薄し、午前7時遂に財部郷を占め、沿道の敵を駆て都城に入る。實に午前10時なり、是日都城侵入の先登は別働第三旅団にして、新徴募隊の上田中尉は部隊中の第一先登者なりき。
◎警視兵からなる別働第三旅団が「先登」では他隊は?と思いたいが。なお「上田中尉」はどうやら鹿児島県人ではないかと思っている。読みは「カンダ」か。またこの時は大山少将が旅団を指揮していた。