★疲れた今日の研究作業2015年08月04日 22:25:42

写真会向けに我が家の縁より
▲今日の主作業は、私が「鹿児島北薩戦」と名付けた項目に関する資料の読み解きであった。結果は資料68個が並べられた。通常多くても30~40。その倍の数だ。実は今日扱ったのは、西郷軍の重要拠点である大口(旧大口市、現伊佐市大口)が陥落した1877年6月20日である。しかも内容が実に豊富で、この日の様子が生き生きと記されている。
▲午前中いっぱいその作業に追われた。さすがに参った。そしてさらに参ったのは夜に「宮崎西諸県戦」部分の作業に入った時だ。「アレッ、これは大口陥落の記事ではないか」と。確認するとまさにその通り。するとこの記事を68個の中に埋め込む作業が必要だ。エクセルで並べ替えてみると、これは69個となった記事の3番目に相当する。記事は全て統一番号で並んでいる。つまり、今までの「3」は「4」に、そして以降順番にずらして最後は69個目まで。全て手作業である。「本文編」(読み解き)は仕方なくこの作業をしたが、「資料編」ではもうしたくない。そこでエクセル表からコピーして、古い資料を消した後に新しく入れ込んだ。
▲今日の記事から。一部要旨。
この日、夜中突如の官軍の攻撃で、熊本隊の守る高熊山が奪われる。熊本隊と共に回復を図った邊見十郎太達は一度は押し返した。然し遂には大口を退く状況になった。ここで邊見は死を覚悟して再度突入せんと馬を廻らせた。ところが彼に付く従者2人が馬の轡を握って離さず、必死に説得する。邊見は鞭で打ち払いつつ、その意思を変えない。官軍は目の前に来ている。2人は馬の方向を強引に変えて、槍でその尻を叩き去らせた。その後2人は「思い残すことなし」と刀を振るって官軍へと切込み、戦死する。
以上を熊本隊の某の日記が記す。そして日記には目撃者達の感慨と後に2人の戦死を聞いた邊見の悲嘆ぶりが綴られている。

★霧島市へ、七つ星撮影に2015年08月07日 13:40:47

霧島連峰見えず
▲電車なら10分余だが、バスは30分近く掛かった。何故か台風の中を走るような、揺れと騒音、料金450円。JR電車のほぼ2倍。
▲写真ポイントまで歩いて15分。国分ソニーの北側の駐車場から社内に向かう専用の歩道橋が入れたので借りる。見晴し抜群だが、画龍点「霧島連山」を欠く。七つ星は想像より早いスピードで過ぎるが連写。全車両写せないのはカメラか技術か。
▲今度は隼人駅へ。ちょっと時間ロスしたので、暑い中だが、できるだけ急いで向う。駅手前の踏切に着いたら遮断機が下りた。然し見えた、停車中の七つ星が。どうやら定期特急との待ち合わせで出発を遅らせていたようだ。慌てて写真撮影。帰宅するため駅へ向かう。向こうから肩に大きなカメラを提げた女性が歩いて来る。つい声を掛けた。「プロの方ですか?」と。そうではないと言いつつも、素晴らしいニコンのカメラを見せてくれた。そして二、三互いに七つ星の撮影ポイントを話し合った。どうやら地元らしいが、追っ掛け族のようだ。そういうカメラではない私は、ポイントはズラして楽しむことにする。
結論:国分・隼人は自転車に限る。電車は人が多く、汗臭いおじさんは肩身が狭い、バスは料金が鹿児島行きとほぼ同じ。

★雨の前の蝶2015年08月12日 21:13:39

6メガの画像をペイントで縮小した
▲若い頃は昼の蝶など興味もなかったが、写真会の毎回10枚提出のノルマのために、我が家の庭に来る蝶を狙った。写真の蝶は同じかどうか分らないが、ここ3日程毎日来ていた。ただ特定の花に寄り付くことはなく、撮影は無理と諦めていた。ところが今日は大サービスで、あきるほど滞在していた。カメラを三脚にセットして狙う。今まではPモード撮影でしていたが、今日はSモードで挑戦した。今日は久しぶりの雨だと聞いていたが、それまでのわずかな時間が大チャンスとなった。
▲今日の雨は、時に大降りになるも、やや期待はずれの雨量であった。少し風がさわやかになった程度。午前中はクーラー要らずであった。
▲今日の研究作業は1877年6月22日。鹿児島の官軍が動いた。結果としてこれは23日に潰えるが、続く24日から25日に掛けて鹿児島包囲の西郷軍は東方へ潰走する。
●某の日記より(本文編より)※読み解きが少し加えてある。
22日、朝6時頃西北遙かに砲声の激しきを聞く、顧望すれば涙橋附近既に始まりしと見え、硝煙漠々として松林を籠む、眺むるうち硝煙次第に林を離れて陸に入る、思うに我兵支えられずして敵に押し上げらるるものと覚えたり、既にして城山及びその左右砲声皆起る、勢い甚だ激烈なり、既にして急報あり曰、重富守を失って敵既に吉野に迫る、急に援けずんばこと全く敗れんと、即我半隊を抜いて吉野に向う、発するに臨み弾丸わずかに三発づつを配与せらる、かつ曰く、弾丸を射尽さば唯刀を用いよと、即嚢底に残るところの丸に取り添えて道を急いで馳向う、到れば早や所々の民舎には焰烟漲り、味方は敗散の体と見え、各所より道路に沿うて走せ(馳せ)集り来る、敵の一隊これを尾撃すること甚だ急、そこで兵を部署して街道を伝うて(沿って)ここに戦線を布く
※某の記録はこの日に関しては3500語以上もある。これはその最初の部分。

★研究作業ほかあれこれ2015年08月21日 02:44:28

偶然見つけた画像縮小WEB利用
▲研究は今、1877年6月24日(土)である。エクセル行数220余。ほぼ1週間は掛る分量である。この日の中心は鹿児島である。鹿児島周辺を固めていた西郷軍に対し、ついに官軍が攻撃開始。翌25日には西郷軍は鹿児島から撤退する。
▲ある人物の記録から(読み解いてある)。
●翌日、未明また官軍谷山に上陸し、泪橋(涙橋)の我軍の背後を衝く、我軍憤戦抜刀縦横接戦、時を移すといえども遂に衆寡敵せず、ことごとくこれに死す、生帰するもの僅2・3名、この時紫原の我軍も不利、各隊絞兵してこれに応援す、我左半隊これに赴く、武岡の我軍戦い酣なり、我隊武ノ岡(武岡)に応援す、両軍交々一塁の両面に蟻付し、その烈戦ほとんど田原・植木の上に出る、この日雨盆を覆するが如く、我兵過半先込銃にして雨戦に不利、官軍応援継ぎ至りて、我兵終に弾薬に竭き水上(水上坂)に退く、我隊応援なので坂本村に帰陣す
※この隊(奇兵六番中隊)は22日・23日に吉野で激戦したばかりである。この日は吉野とは反対方向に位置する鹿児島市南部へ応援した。
▲例によって、ワードが朝突如ストップ。得てして保存を忘れた時だった。しかし緊急保存を起動したら、ほんの少し失っただけで助かった。イタズラが強すぎるよワード君!
▲毎日、庭の花にやってくる蝶を縁側の三脚に載せたニコンで狙っている。まだ「絞り」とか「シャッター優先」とかよく分らないが、撮りまくるうちに分るのであろう。昨日は撮影中の私の周囲を威嚇(?)するかのように一周した蝶がいた。

★草切り鋸壊れる2015年08月24日 23:31:57

修理したノコギリと元の一部
▲数年前から色々な草切道具を買っては試し、納得しないでまた新しい物を買うの繰り返し。今は家人が使う、立ったままの姿勢でブレードを回しながら進む器械と私の「草切り鋸」が流行りである。家人の器械の場合と異なり、私は屈んだ姿勢で、それを振り回す。草は鋸の歯に当り、面白いように切裂かれる。もちろん鋸としても使えるが専ら私の場合は草取り専用である。切れる理屈は半円状に振り回すから。草切専用機と同様の働きをすると考えている。
▲昨日は出だしに故障、いや壊れた。鋸が折れたのだ。仕方がないので別な鋸を臨時に用いたが、効率が悪かった。私の専用鋸は両
歯、臨時に使ったのは片歯。両歯でこそ、振り回し効果が生きてくる。
 画像は鋸の柄の部分を利用して、針金でグルグル巻きして、最後にテープを巻いて修理したもの。これは使いづらい筈だ。短くなったから振り回し効果減殺。
▲研究作業から
①スキャナーミス発見
●(誤)に諸小隊→(正)三番小隊●(誤)慎発→(正)憤発●(誤)左者翼→(正)左右翼
②1877年6月24日の大分戦から※この日西郷軍が仕掛けた。
●同24日黎明より進軍、味方奮戦敵堡を抜く、既に数十、残るところ唯一塁、これを得る時は重岡は唯掌中にありと、諸将一層奨励、該塁まさに陥らんとするに当り、惜しむべき、弾薬全て尽く、かつ敵は援来り救うに会し、勢い進むこと出来ず、皆慨然切歯して退き、旧塁を守る、実に本日の戦たるや、10余万の弾薬を消費し、剰つさえ壮士150余名を殺傷し、遂に全勝を得ざるものは敢て兵士の進まざるに非ず、また将校の勉めざるにあらず、独り弾薬の欠乏によるのみ、然り而して今也、弾薬懸命に製せざるにあらずといえども如何せん、民家に貯蓄する錫鉛の器物は無論、漁夫の投網等に至るまで既に鋳尽したれば、今より後は銅丸を用ゆるの外他なしと