★台風・蝶々・研究状況2015年09月02日 01:24:10

台風翌日には花が咲き始めた
▲一番はベランダ脇の作り付け倉庫の屋根のタキロンが一部飛んだことだ。実は3日ほど気づかずにウカツであった。タキロンの中央部だけがほんの一部無くなっていたので見逃した。被害は保存してあった雑誌・ノート・本などに及んだ。早速工事する方にお願いしたが、非常に仕事が多く、順番待ちとのことだ。それまでに新たな台風が来ないことを祈るのみ。取り敢えずはタキロンの半分ほどのものがあったので、それを載せて、上にビニール袋に入れた土を押えに置いた。
▲台風で花が散ったので、蝶々はもう来ないと思っていたが、また来てくれた。
▲研究は今日から新しいステージになる。1877年6月26日から7月24日までを読み解いて行く。先ずはその基礎資料作りである。今回は官軍・鹿児島大隅戦・霧島南麓戦・宮崎西戦・宮崎北戦・大分戦に大きく6分類にした。鹿児島を追われた西郷軍は大隅へ向かう。邊見や熊本隊は北薩から霧島山麓へ。飯野や山間部の戦はなお続く。やがて7月24日の都城陥落に収束する。この間大分・宮崎国境では山岳戦が際限なく続く。

★今日のこと:研究・写真・掃除2015年09月09日 22:34:08

電車後方の丸い山は蔵王岳(169m)
▲今日は研究は1877(明治10)年6月29日に入った。鹿児島を制圧した官軍は準備が整い、西郷軍を東へと圧迫し始める。
●「第四旅団★佐山の戦」から
これより先き別働第三旅団の兵吉田にあり、よって右翼兵はこれと合し、その一半を進めて蒲生を攻む、別働第三旅団の兵、佐山の賊と戦まさに闌(酣)なり、そこでこれを援け共に蒲生を取り、次いで春花村(ハルゲ、旧姶良町船津)を占む※佐山は旧吉田町と旧蒲生町との境にある峠。県道25が走る。今は私でも自転車で越えられる程度の坂であるが、かっては急坂で知られた。
かくして姶良の戦は旧加治木町と旧姶良町の間の別府川(ビューガワ)東に西郷軍、西に官軍となって激戦へ。
そしてこの日官軍別働第一旅団兵が垂水に上陸、大隅中央部へと進出を図る。
▲今日は写真は七つ星が走る時間に急いで日木山川土手へ。その時間に通過するのは明日(木曜日)だと気が付いて方向転換。通常特急きりしまを撮影へ。
▲今日は、放置していた草や木切れ、中心は先日の台風で切り取った椿木の小枝であるが、チリ袋3つに詰め込んだ。ところでベランダ屋根の件は依然注文依頼中のまま。

★エクセル不安定に泣く2015年09月11日 03:13:24

▲いつもはワードの不安定で悩まされるが、この日はエクセルに泣かされた。別ファイルと結んだVLOOKUP関数をコピーしていたら突然ダウン。しばらくして回復させたので保存しますかと。もちろんOK。それが泣きにつながった。回復したエクセルファイルで、いつものようにPDF資料にハイパーリンクさせようとクリックしたら、出来ない。よく見るとリンク先が異なっている。これでは研究にならないし、再度リンク先を手直しするのはムダだ。そこで「OneDrive」に保存してある同名ファイルを「(本物)」と書き換えて開く。両ファイル共に22544行で同じ。そこで「(本物)」にあるハイパーリンクをコピーした。うまく行った。
 それにしても何でこうなるんだろう。今以上に細かに「保存」をするしか対応策はないのか。取り敢えず今後は自動復元は信じないことにして、再作業があるとしてもファイルによっては直近保存ファイルに頼るつもりだ。
※画像はプリントスクリーンで作成した。ハイパーリンクが正しくなっている。

★後難、ワードに泣かされる2015年09月16日 00:32:46

▲前難エクセルに代って今度はワード。実はワードもおかしくなっていた。調子よく作業が続くといきなり、アウトして終了。たしかに回復も出来るが完全ではない。数十分がムダになる。また同じ作業がしなければならず、「さっきしていたのに、この作業は」とつい腹が立つ。この日はさらにおかしくなった。作業は細目に保存をとクリックすると、機能しない。目を疑って再度、再々度。結局現作業ファイルの名前でなく、同名ファイル名の最後に仮に「B」を付けて保存、これは出来る。ただ、次に保存しようとするとまた出来ないので、今度は現作業ファイルの名で保存。これではたまらん。
▲そこで修正を試みた。うまく行くかと期待したらガックリ。最後に「全部は出来なかった(正確な文面忘却)」みたいになって終了。これは再インストール、過去何十回して来たことか、このデスクトップは今年初めハードディスクを替えたのでやったばかりだ。今回はオフィスだけだ。早速保存してある2007バージョンアップ版を使うことにする。この作業は事前のアンインストールから事後のインストールまで1時間弱。
▲困った。成程とは思うが、語句変換機能が変った、いや初期化したと言うべきだろう。
 今までは「せんだい」と打つと「川内」と出たが、今度は「仙台」。「かわ」→「川」は「皮」。「べつに」→「別働第二旅団」(登録語句)は「別に」、さすがに「沢尻」とは出なかった。困るのは「ま」→「●」(登録語句)はよく使うのだが、Enterキーを数回叩く始末。今この文はUSBが一部電流不調が唯一の故障であるノートパソコンで打っている。

★研究作業より:「絹土村」とは?2015年09月18日 20:38:26

絹土村=木入道
▲「征西戦記稿」より(一部加筆修正あり)
1. 別働第一旅団★絹土村・菱田川の戦:(18)
①先鋒独立第一大隊(上野少佐)は午前3時30分串良(旧串良町岡崎、国道220・県道73・519・串良川)を発し、志布志(志布志市)に進軍す
②途中に賊に絹土村(□□□、大崎町永吉、国道220・県道520)に遇い、これと戦い、1中隊(第三中隊、渡邊中尉)を分ち、その右側を衝かしめ、前面諸隊は機に乗じ剣を装し揮霍(きかく)突進、接戦すること凡そ1時間、賊遂に支えること出来ず、守を棄て散乱す
③乃ち兵を収め前進し、菱田川(旧有明町野井倉、国道220・菱田橋)に至りまた賊に会う、撃ちて30余賊を殪し、勝に乗じ逃るを逐って川を越え、遂に志布志に入る
④賊守ること出来ざるを知り、民家に火して奔鼠(ほんさん)す、ここにおいて兵を収め、哨を布き、防禦を固くしこれを守る【30051005●巻51都城戦記】
▲これは私の研究作業1877年7月1日の箇所の1文である。□□□部には「絹土村」の現在の地名が書かれている。地図(電子地図)から見つけた。まさかこんな文字がそうであったとは。
※その地名が画像の中にあります