★「四方地原」は熊本市西区四方池公園付近か2017年02月15日 00:10:02

▲以下の資料(1877年2月21日)にはまだ「四方地原」は「不明」としてある。
●人吉を経て同月廿一日肥後国熊本へ着す、本日同所の四方地原に壱炮隊を以て炮台を築き、城中へ炮撃する事四五日※四方地原(不明、熊本市西区横手2丁目か)
◎どうしても解明したくてネット情報を辿る中で、Mapionに「四方池公園」が出てきた。そこで平凡社歴史地名大系でさらに確認する。すると「横手村」の中の小村で元々は「世持村」、これを「四方池村」ともいうとある。そこで最後はグーグルストリートビューの出番である。上空から目星を付けて人型の記号(ペグマンというそうだ)を下ろす。そして黄色い線を移動してその場所に着いた。「四方池公園」のプレートがあった。住宅街の小さな公園である。読みは「よもちこうえん」であろう。公園は西区島崎3丁目だが、公園から数十m東は横手5丁目である。昔は「横手村」であったと思われる。「四方池村」は以後官軍側資料に「四方地」・「四方地村」と数回登場する。そしてここの付近であろうが、「四方地原」にあった砲台を破砕したとする。
 なおこの日は西区新松尾橋、中央区画図橋の確認にペグマンが活躍してくれた。
※画像は「四方池公園」。グーグルの上空からの画像で公園付近を見たら、家々の屋根に青いシートがいっぱい張ってあった。