★研究作業から ― 2019年02月14日 05:37:19
▲1877年8月24日、西郷軍は「鬼神野」を襲う。ここは官軍の物資の中継地であり、傷病兵の施設もあった。ここで官軍石坂軍医が西郷軍の捕虜となった。以下は官軍記録(「征西戦記稿」●巻62脱賊追撃記)。
①石坂軍医及び会計局出仕三澤元雄は已に賊を避け山間を潜行し佐土原地方に出んとし、是夜賊哨に捕はる、賊哨之を鬼神野の民家なる賊の本営に護送す
※佐土原(旧佐土原町上田島、国道219・県道44・三財川)
※鬼神野(キジノ、旧南郷村鬼神野、国道388・小丸川)
②一賊(左腕を截断せし者)石坂に問ふに我軍の位置方畧を以てす、石坂曰く「軍略は医官の与り知る所に非ず、又繃帯所は戦闘線を距る事10余里なるが故に位置を知らず」と、賊又人吉駐屯軍の多寡を問ふ、石坂曰く「中村中佐2大隊を率て前日人吉に赴けり」、賊曰く「子、医官なれば敢て殺戮を加へず、宜く我負傷者を治療すべし、且つ子飢たらん、家に入り酒飯せよ」と
③石坂乃ち入れば、賊凡そ五六十隆盛の左右に在り、隆盛奥室に在り、単衣鳶帔将官の略帽を冠り雙刀を佩ふ、石坂に謂て曰く「子の痛心想ふ可し、然れども今日彼我相分るるを以て事此に及ぶのみ、請ふ、子我負傷者を治療せよ」と
④既にして隆盛筏輿闇に乗じ雨を衝き鬼神野を発す、石坂・三澤も亦護衛の賊と共に発す、鬼神野越の山上に至りて、天始て白し、而して神門の方位銃声未だ止まず
※鬼神野越(茶屋越、旧南郷村上渡川)
※神門(ミカド、旧南郷村神門、国道388・小丸川)
⑤隆盛等渡川村に至て憩ふ、一賊前膊を斬られし者あり蓋し隊長なり、傍人に語て曰く「図らざりき昨日の官兵、彼れが如く倔強ならんとは」と(後に知る、賊の所謂倔強者は畔柳庄太郎にして桑木原より弾薬を輸送し鬼神野に至り途次賊に遇ひ健闘4人に傷く、遂に之に死す、今前膊を斬りし賊は即ち其4人の1なる事を)
※渡川村(ドガワ、旧南郷村上渡川、県道39・渡川)
※桑木原(大桑オガの木、椎葉村大河内、国道265・一ツ瀬川)
◎畔柳庄太郎(荘太郎、別働第二旅団、仙台鎮台、山形県出身)
▲画像はグーグルマップで作成した鬼神野の風景。左の建物が「森の駅鬼神野」。
①石坂軍医及び会計局出仕三澤元雄は已に賊を避け山間を潜行し佐土原地方に出んとし、是夜賊哨に捕はる、賊哨之を鬼神野の民家なる賊の本営に護送す
※佐土原(旧佐土原町上田島、国道219・県道44・三財川)
※鬼神野(キジノ、旧南郷村鬼神野、国道388・小丸川)
②一賊(左腕を截断せし者)石坂に問ふに我軍の位置方畧を以てす、石坂曰く「軍略は医官の与り知る所に非ず、又繃帯所は戦闘線を距る事10余里なるが故に位置を知らず」と、賊又人吉駐屯軍の多寡を問ふ、石坂曰く「中村中佐2大隊を率て前日人吉に赴けり」、賊曰く「子、医官なれば敢て殺戮を加へず、宜く我負傷者を治療すべし、且つ子飢たらん、家に入り酒飯せよ」と
③石坂乃ち入れば、賊凡そ五六十隆盛の左右に在り、隆盛奥室に在り、単衣鳶帔将官の略帽を冠り雙刀を佩ふ、石坂に謂て曰く「子の痛心想ふ可し、然れども今日彼我相分るるを以て事此に及ぶのみ、請ふ、子我負傷者を治療せよ」と
④既にして隆盛筏輿闇に乗じ雨を衝き鬼神野を発す、石坂・三澤も亦護衛の賊と共に発す、鬼神野越の山上に至りて、天始て白し、而して神門の方位銃声未だ止まず
※鬼神野越(茶屋越、旧南郷村上渡川)
※神門(ミカド、旧南郷村神門、国道388・小丸川)
⑤隆盛等渡川村に至て憩ふ、一賊前膊を斬られし者あり蓋し隊長なり、傍人に語て曰く「図らざりき昨日の官兵、彼れが如く倔強ならんとは」と(後に知る、賊の所謂倔強者は畔柳庄太郎にして桑木原より弾薬を輸送し鬼神野に至り途次賊に遇ひ健闘4人に傷く、遂に之に死す、今前膊を斬りし賊は即ち其4人の1なる事を)
※渡川村(ドガワ、旧南郷村上渡川、県道39・渡川)
※桑木原(大桑オガの木、椎葉村大河内、国道265・一ツ瀬川)
◎畔柳庄太郎(荘太郎、別働第二旅団、仙台鎮台、山形県出身)
▲画像はグーグルマップで作成した鬼神野の風景。左の建物が「森の駅鬼神野」。