★梅雨入り&西南の役2019年06月23日 05:49:29

アジサイと蝶
▲私の西南の役資料「★訂正版★全地名検査(提供用)190313 」(エクセル)に「梅雨」と打ち込んだら、32214セル中の3セルが反応した。日付は西暦である。内1セルは以下①に、ほぼ同内容の2セルの1つを②とする。
①5月17日〇水俣・大口戦(官軍別働第三旅団VS熊本隊)※熊本隊某の日誌から
●17日雨大いに至る、蓋し時方に梅雨の候に属す、宜なる哉、連日晴れさること此の如し、而して敵亦た敢て来らす、毎日營窓無聊、雨簫條、杜鳴其間に悲鳴す、丈夫の鐵膓轉々、故山の情に堪えず、詩あり曰く「百戰無功壮志違、露營三月濕戎衣、杜鵑不識征人意、夜々漫呼不若歸」●余時々出てゝ哨線を巡視すれは、哨兵皆樹下石間に佇立し以て警備を嚴にす、衣褌盡く濕ふ、其苦實に想ふ可き哉【20045111】:(5)
○当時の戦線
※深渡瀬村(フカワタゼ、水俣市市渡瀬イチワタセ、県道15・久木野川)
※久木野(クギノ、水俣市久木野、県道15・271・久木野川)
②6月23日○大分戦(官軍:熊本鎮台VS中津滞)※中津隊(西南之役懲役人筆記)から
●翌廿四日(23日と解釈した)議を定め兵を四道に分つ、一は本道、一は水ヶ谷口、一は宗太郎越、一は間道赤松谷より急に重岡に迫らしむ、殊に此間道は奇兵廿一番・同十二番を以て中軍とし、十六番を以て応援隊となし我中津隊を以て先鋒となす、即日黄昏より発し土民をして郷(嚮)道をなさしめ将に本道・間道の二道より発せんとす、時に本道の薩兵半途にして驚愕散乱空しく潰へて退んとす、我中津隊の如き皆大に憤然各刀を抜て呼て曰、「未戦はすして退く、何そ夫れ怯なるや、正に退く者は斬らん」と、直ちに之を追返へし即ち兵士某を本営に遣し本道の薩兵云々云はしめて曰く、「我隊の如きは死又恒に期す、敢て決然進まさるを得す」と、即ち間道赤松谷に向ふ、奇兵十二・同廿二番・同十六番之に尋く、之れに依て野村忍助(野村忍介)自ら本道の兵を督して進む、時に梅雨連りに降り闇黒咫尺を弁せず、我兵茂林を潜伏し漸く官兵の台場に近つくを得たり【10700228】:(1)
※水ヶ谷(スイガタニ、佐伯市宇目重岡、板戸山746.5mの麓)
※赤松谷(赤松峠、佐伯市宇目重岡)
※宗太郎越(宗太郎峠、佐伯市宇目重岡・旧北川町川内名)※重岡(佐伯市宇目重岡、市園川)
▲我が家のアジサイは白一色で面白くないと家人に愚痴る。蝶も見放したのか近づかない。そのほかの花には立寄る。画像は珍しくアジサイに乗った蝶。今までの経験では6月頃蝶の写真を撮った記憶はない???

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