★研究の方向と反省&愚痴2015年06月03日 01:18:19

姶良市思川のアジサイ
▲西南の役(1877年)関係数ファイルの研究は、究極のところ、関連ファイルの修正作業に尽きる。ここ数カ月は資料を再度、いや再々度の修正作業をしている。作業は先ずエクセルで並べた3万行以上のセルを日付順に並べ、それを一定期限毎に区切り、ワードに移す。次にそれを翻訳(?)するかのように読み込み、書き込んだ「本文編」と元のままの「資料編」に分ける。これを1877年2月15日(薩軍発日)から9月30日(仮に決めた)まで、一日単位で作成して行く。ここ2,3年迷走した研究作業の結論がこのようになった。この形式が完璧になったのはまだわずかに5月18日から6月1日までの分と、今やっている6月2日から25日までの分のみである。昨年始めたころの「薩軍人吉退却路」(4月24日~4月30日)や4月28日~5月17日までの分はまだこのような形式が確立していなかった。
この形式で先ずは9月30日までをこなしてみようと思う。その後2月15日から5月17日までの分に取り組むならば、全てが完了するのは来年半ば以降か。体力と気力の続くことを願うのみである。
では、門戸を開いて共同でやればもっと早く確実ではないかと言う人があるかも。しかしそれは無理というもの。私と同じ人は私自身であるから。
▲最近の修正あれこれを示す。
①スキャナーでのミス→修正
●え→之 ●フ→ヲ ●択め→収め ●来し→乗し
②日付ミス修正

●ある日記の「六月四日」の記事が実は「6月6日」と分った。日記の日付を疑問視したことはほとんどないので、ショック。ほかにも6月5日を11日に、6日を12日に、7日を13日にと大幅に修正した。原因は公式的には「資料の精査が不十分だったこと」、然し真実は「今の時点でやっと日付毎の事実が分り始めたこと」に帰属する。
※今日は「征西戦記稿」の文章が数行抜け落ちているのに気づきガク然とした。然し、それは今の作業が必要だということを再認識させてくれた。

★東京池袋へ2015年06月09日 19:17:30

ビル名を背景に自撮りで
▲6月6日、羽田へ着いて池袋へバスで向かう。バスは発車して直ぐにトンネルへ。長いトンネルを抜けるとそこは池袋だった。バス時刻表では45分近くかかるはずが池袋西口に30分余で着いた。
▲宿泊予定のホテルに荷物を預け、昼食もそこのバイキングで済ます。ルミネを経由して池袋東口へ抜ける。池袋「西」口に「東」武デパート、「東」口に「西」武デパートがあるのが面白い。周りを歩いている人は皆私より年下ばかり、それもほとんど10代か20代のようだ。家人とそういう話をしつつ目指すはサンシャイン60。地図を頼りに裏通りを抜けて、高速下の道を渡って、何とか辿り着いた。実は20年近く前ではあるが、一度サンシャイン60には来ているが、それが池袋であるとは当時は意識せず、ましてや付近を歩いたこともなかった。バスで来てただ上って下っただけ。エレベーターを選んで59階まで一挙に上がる。そこのカフェから窓越しに東京を見下ろす。高所恐怖症の私は、足がすくむ思いを押えつつ、数葉の写真を撮影。二人それぞれビールとコーヒーを飲んで降りた。ビルを出てから、今度は若者の波に包まれて池袋駅へ向かう。ラーメンストリートらしい所を歩く、どの店も昼時間を過ぎてはいるが満員のようだ。並んで待つ店もある。
▲駅の人混みの中を東武デパートに向い、そこで高級(?)バッグを買った。私にはびっくりするような値段であり、こんな品は一生縁がないものと思っていたが。ホテルに向かいながら、観察すると、行き交う人は皆高そうなバッグ・リュックを身に付けて歩いておられる。服もまるで違う。別に欲しいとか羨ましいとか思わないが、所にはそこに相応しいスタイルが必要なのだと感じた。

★月島と早稲田・三ノ輪2015年06月12日 02:07:51

月島と都電(三ノ輪駅)
▲東京2日目、ホテルを午後3時過ぎに出て月島を目指した。地下鉄の乗換えのないことが月島を選んだ一つの理由だが、一番は勿論まだ食べたことのない「もんじゃ焼き」をいただくためである。月島駅は最後に少しきつい上りがあった。出るとすぐ目の前に「壱」番から順に通りが見えた。私共と同目的の人々がぞろぞろ歩いている。店を覗くと客の多い店と閑散とした店とがある。家人は「多い」派、私は「閑散」派であるが、ここはいつものように家人に従う。一渡り見てから目に付いた店に入る。先ず飲み物を注文、続いて「もんじゃ焼き」と「焼きそば」のセットを注文する。担当の赤いほっぺの姉ちゃんの腕に任せて、出来上がった「もんじゃ」をじっくり味合う。初めての味ながら大いに納得する。他の客は慣れた方達のようで、自分達で作るその手つきが良い。いい思い出となったが、家人は支払いの時割引券を出し忘れたと悔いていた。
▲東京3日目、都電荒川線に挑戦した。JRで池袋から大塚へ、そして先ずは早稲田へ。大学へは学生達の後から歩く。正門辺へ着くとそこからはっきりと大隈像が確認できたので見に行く。写真2葉撮って、すぐまた早稲田駅へ引き返す。途中の店に「定期券預かっています」の貼り紙があった。電車は初めこそすいていたが、次第に混むようになってまるで山の手線状態。おまけに幼稚園児が団体で乗って来たので、大混雑。園児に「どこに行くのか」と問うと「遊園地」と。混雑は園児達が一斉に降りると終った。60分掛けて終点「三ノ輪」で降りる。すぐ南千住の商店街へ。人通りが少ない。通り抜けると「一中前30m」とあったので、その駅へ向かう。帰りの電車もまた混んできた。
悔いは時間不足で雑司ヶ谷墓地に行けなかったことだ。

★今さらと思いつつ2015年06月19日 22:39:08

姶良市蒲生八幡神社の大楠
▲3種の資料を読み込んで行く作業は現在中止中。原因は別な作業を始めたからだ。それは収集した日誌・日記のまとめ方に自分で疑問を持ったからだ。
現在は、
12.●薩兵、川尻に着く
① 21日、薩兵已に川尻に至る、
② 城兵夜に乗じ一小隊を遣はし川尻を焼かんと欲す、路を失ひ薩の哨兵に遇ひ事ならずして逃走、薩兵是を逐撃して数人を殺す、城兵或は河に陥て死する者有りと云ふ、

改訂すると
12.廿一日、薩兵已ニ川尻ニ至ル、城兵夜ニ乗ジ一小隊ヲ遣ハシ川尻ヲ焼カント欲ス、路ヲ失ヒ薩ノ哨兵ニ遇ヒ事ナラズシテ逃走、薩兵是ヲ逐撃シテ數人ヲ殺ス、城兵或ハ河ニ陥テ死スル者有リト云フ、

▲つまり、カナをかなにしたぐらいならいいが、(ア)●・・・・・と書くこと(イ)①・②に分けること、共にその必要性は全くない。2010年時点ではそれでよいと思っていたのだが。そこで一念発起、思い切って資料の再編集を始めた。今の所では4つの日記・日誌についての再編集に限っている。
▲編集作業は、
①エクセル資料をいったんワードへ②ワードの段落番号を利用して整理③出来上がったらエクセルへ戻す、の3段階。問題は、読み込んで行く中でどうしてもここは2分割して表現すべきと考える箇所が出てくる。先ほども今編集中の資料(エクセル換算で190セル終了、残り160セル余)でそれがあり、対処した。先日済ませた資料は何と60余セルもオーバー。そして必ず見つけるのが入力ミス。さらにあれこれと。
▲雨が続くとあの話になる。
ノアが選んだ動物達と家族は無事、ある山へ漂着した。皆外へ出て行った。ノアの妻が「あなたこの方舟はこのままなの」と言った。ノアが答えた。「大丈夫だよ。シロアリを一組置いてきたから」
※私の旧アサブロに載せた話。

★四つの日誌・日記書き換えが終る2015年06月23日 00:42:16

ドロップボックスのスクリーンショット利用
▲スキャナー・OCRミスとその訂正事例。表記は「ミス→正解」の形で。
①草葬→草莽②掘→扼③急遠→急遽④慮援→應援⑤柳か→聊か
⑥樟さして→棹さして⑦放て→於て⑧五百除→五百餘
⑨腕カ→腕力⑩直多→直友ヲ⑪誰→餘⑫急遼→急遽
 ここで考える。まだこのミスが全資料中にあるのではないかと。そこで検索して見た。見つかったのは1例、「誰」。文章では「其誰ノ兵」。これは正しくは「其餘ノ兵」。しかもこれが今回の四つの日誌・日記から見つかったのだ。ああ、やんぬるかな。
▲今回、より原本に忠実に「かな」から「カナ」へ戻した。その結果が「⑨腕カ→腕力」。カタカナにしたから「カ」と漢字の「力」のミスが分ったのだ。同じようなミスが多いのが「ニ」と漢数字「二」。これは字体がゴシック体だとほとんど見分けが付かない。また「⑩直多→直友ヲ」は、原資料を読む中でたまたま気が付いたもので、OCR君は「友ヲ」を「多」と変換したのだが、その気まぐれぶりには脱帽。
▲今回、書き直しの過程で、再度日付設定にも取り組んだので、エクセル上で80セル追加・修正された。これを正確に3万行の資料中にハメ込む作業が大変だった。
▲画像は、修正作業の画面。画面左のエクセル上の赤囲い部分を、右のワード上にハメ込んだ。この後「テキスト」→「OK」とすればうまく行く。
 憂鬱なのはこの作業を昨年から作って来た関係ファイルでしなければならないことだ。いずれ又。