★久しぶりに開聞を撮る2016年09月23日 05:16:31

姶良市加治木町から見た開聞岳
▲別府川下流の突堤へ出かけた。今日は開聞岳が見えるはずだと思った。理由は台風一過で空気が澄んでいる筈だと考えたからだ。ただ、目の前の桜島の眺望がスッキリしないし、近辺の山もそうきれいに見える訳でもない。突堤への登り坂を一挙に上がるが、最後はやはりフラついた。ポイントへ向かうと何となく、かすかに見える。私の目にはうっすらと見えるが、思い込みかも知れない。そこでnikonを向けて最大望遠にする。すると確かに見えているようである。期待してシャッターを押すこと3回。家に帰ってからパソコンに入れてから見たら、うすく写っていた。
▲西南の役懲役人の記録に、「勇義隊」の成立、またその内容に触れている一文に出会えた。
●5月1日出水竹元村に来会する者3000余人、これを結束して1大隊とし、中山甚五兵衛を推して大隊長とす、以後将校皆備わる、これを勇義隊と称す、然るに丁壮にして軍役に堪ゆべき者は先に既に出兵し尽し、この隊の兵士は老者と幼者とのみにして、兵器もまた素より充備せず、或いは刀、或いは槍、或いは鉄梶、或いは火縄銃なり【12311001】:(34)
※この人物の記録は、「勇義隊」の成立、そのメンバー、その武器等々、ポイントを的確に表現している。この「勇義隊」はこれから、官軍が鹿児島制覇する6月24・25日までを戦った、鹿児島防衛軍である。「竹元村」は出水市武本である。「12311001」で始まるこの人物の戦いの記録は、「12311003」(日付特定出来ず)で終る。