★今年の初開聞岳写真&研究作業から2019年01月18日 02:45:47

▲この日いつものように散歩(自転車)に出ようと市内西端の山を見る。光を受けて山肌がいつもよりスッキリ見える。さては見えるかもとニコンをバッグに入れた。いつもの別府川河口堤防のポイントへ。薄く見えるのはいつもと同じだが、はっきり視認できた、撮影。すぐ国道10号姶良橋へ向か、今一番のお気に入りポイントである。しっかりと撮影。
▲研究作業は1877年8月の部に入った。西郷軍の崩壊が始まった。以下は8月3日の記録(西郷軍)。
●同3日我軍隊伍散乱するにより立岩村にあって兵を休し、山崎定平を推して大隊長代理となし、5中隊を約して2中隊となす
※立岩村(平岩、日向市平岩、国道10・県道226)
●我曹海湾(高鍋)を渡って耳津に走る、この時船覆って沈没する者ありと云う、佐土原の敗るるや兵大いに潰散、隊伍欠亡する者多し、邊見十郎太雷撃隊により耳津河に沿い、海浜より本道の間を扼す、我曹山陰の本道を守る、ここに至って桐野利秋・村田新八・中島健彦等兵を指揮すといえども、兵いよいよ震わず
※高鍋(高鍋町高鍋、国道10・県道19・24・44・小丸川)
※耳津(美々津、日向市美々津町、国道10・県道51・302・耳川)
※佐土原(旧佐土原町上田島、国道219・県道44・三財川)
※耳津河(美々津川、耳川ミミカワ、椎葉村不土野~日向市美々津、91.1km、二級河川)
●仍て翌3日美々津にて悔悟降伏し、田之原二旅団本部より椎木村へ護送相成たり、同隊小隊長は数日を経て降伏せし処、後ち宮崎裁判所にて放免相成りしと
※美々津(日向市美々津町、国道10・県道51・302・耳川)
※田之原(田の原、日向市美々津町、石並イシナミ川)
※椎木村(木城町椎木、県道304・312・小丸川)
●3日、伝令あり、敵既に広瀬に迫る、重傷患者は明日送らん軽傷者は自ら去るへしと、乃ち日高は上成氏と共に相別れて徒歩して去る、嗟予が足と頼みつる日高は此に始めて別れたり、予は独残されて輿夫の来るを待つ、夜三更砲声忽然として近辺に聞ゆ、急に看護人を喚起し医務所に遣り人夫を促せとも埒明かす、亭主を呼へば是も早や何れか逃けたりと覚へて答ふる者更になし、夜中如何ともすること能はす、遂に夜はほの々々と明渡る(註:後日なんとか延岡まで行き着く)
※広瀬(旧佐土原町下田島シモタジマ、国道10・県道14・326・石崎川)

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