★地名説明作成中の報告2019年09月21日 20:06:38

夏の終り
▲今変った作業中である。地名説明はそれなりに理解できるようにはなっているが、西南戦争主関係4県(鹿児島・熊本・宮崎・大分)や2県(福岡県・山口県)の県名は説明には加えていない。県名ばど地元の方ならなくても分るだろうし、その地に赴けば誰でもすぐ分るだろうとの判断である。
しかし、今回「地名実数」ファイルに別項目をたて、地名等全てに関係県名と市町村名を「県名(市町村名)」の形で入れ込むことにした。対象総件数は現在11,507件。
▲方法は地名説明項目にある市町村名を利用することにした。これは2通りである。地名説明の字句から、「市」の場合なら「、○○市」か「地名等、旧✖✖市」の形で検索する。ファイルではこの方法で先ず大量に抜き出し、そこに「鹿児島県(〇〇市)」か「鹿児島県(旧✖✖市)」と記入する。町村レベルも同様にする。鹿児島と宮崎は「旧」で始まる平成合併以前の市町村名で記録してある。熊本県の熊本市は現在の「区」単位で、その一部と大半の郡部諸市町村は「旧」市町村名で記録してある。大分県は全て平成合併後の表記にしたが、理由は私が行った経験がなく、新地図に頼ったからだ。
▲今、その修正中である。作業の結果生まれた1500余の空白が見つかったからだ。理由の1つは単純である。例えば項目の「五木川(川辺カワベ川)」には「、五木村」の字句がない。だから検索できなかったからだ。これは見た瞬間分るので「熊本県(五木村)」と別項目に書き込める。
▲以下は作業の中で大幅改正にいたった例。
◎1877年4月24日。この日から西郷軍は人吉へ一斉引揚が始まる。
▲②その方面の部署は●御船より飯田山及び船底山まで別働第二旅団●船底山の麓より南田代及び淺ノ薮まで熊本鎮台兵●淺ノ薮より川原まで第一旅団●川原より田原山まで第二旅団●田原山より黒川まで第三旅団と定めたり、而して三浦少将は云ふ、左翼十文字山を取り因て以て軍を進めば功を奏する事必ず速なるべしと、ここにおいて遂に議を決し、熊本鎮台兵により正面攻撃の、本軍第三旅団により左翼攻撃の、それぞれ本軍とし、第一・第二旅団は第二線を布き、雁行応援せしめ、別働第二旅団はその位置を保ち那須口の緩急に備えしむ、26日賊濱町を退去するの報あり、我軍乃ち兵を分て之を探偵せり※飯田山(431.1m、益城町小池オイケ)※船底山(船野山307.8m、益城町赤井)※南田代(ミナミタシロ、御船町上野、県道57・221・矢形ヤカタ川・八勢ヤセ川、八勢眼鏡橋)※浅ノ薮(アサノヤブ、御船町田代、赤井川)※川原(河原カワハラ、西原村河原、県道28・グリーンロード南阿蘇)※田原山(俵山タワラヤマ1095.3m、西原村小森)※黒川(クロカワ、旧阿蘇町黒川、国道57・211・県111・西岳ニシダケ川)※十文字山(ジュウモンジヤマ、十文字峠・十文字越、御船町田代・西原村河原の境)※那須口(椎葉村不土野、県道142)【30027001●巻27濱町部署】
◎ポイントは「川原」・「田原山」・「十文字山」の3件。この3つは私の「不明」地名には属していないが、「地名箋」(「征西戦記稿」)に沿って書かれていた。つまり「準不明」というべきであった。この結果は「川原」を「河原」、「田原山」を「俵山」、「十文字山」を「十文字峠・十文字越」と読み替え、結び付けたことで成立した。
評価はどうなるか分らないが。
▲画像は今夏最後の蝶の写真(?)。

コメント

トラックバック