★「西南記伝」の作業は中巻二へ2021年01月30日 19:39:34

▲中巻一の書き直し作業は終った。記事に相当する「征西戦記稿」と「西南之役懲役人筆記」を照合させる作業はほぼ一ケ月を要した。それぞれのファイルに「西南記伝」の字句を入れて検索する。私の資料では「4語」同時に検索できるようになっている。敢えてそれ以上に増やさないようにした。ピタリと当てればヒット、当らねばアウト、再度また再度当るまで語句を選んで挑戦する。それでも検索出来なければ「出典不明」と記す。
当たれば、その一文を「西南記伝」の欄にコピーして、それを基にして「西南記伝」のPDFに合せて修正して行く。
▲1877年4月20日、御船をめぐる戦で薩軍と熊本隊などが大敗をした。これが同日の熊本城外の東方面の健軍・保田窪・長嶺等の戦いにも影響し、熊本方面の全面退却になって行く。
●「西南記伝」
①是より先に、少将は諸隊の進撃に先ちて御船川の北岸を渡り、水島中尉の狙撃隊をして矢部街道の近傍に埋伏し、以て退敵を猛射せしめしかば、薩軍為に退路を失し、倉皇河を泳ぎて遁るるあり、水に溺れて死するあり、官軍岸に立ちて之を狙撃する、宛も浮鴨を射るが如く、死屍数十、波面紅を潮するに至る
②薩軍終に飯田山、木山、西倉、木村に退却せり
③少将は午前10時御船に入り、尋で諸軍四面より御船に会せり
◎上記の文面は以下の2文が基になっていると推測した
●別働第二旅団(P11)「征西戦記稿」30025017
①初め山田少将は御船原の戦尚ほ酣なる時御船川を渡り其北岸を進み、水島中尉に命じ狙撃隊を矢部道の傍に伏せ、賊を待たしむ、賊果して此道より走る、狙撃隊起て之を撃つ、賊大に驚き復た戦ふに及ばず、弾に応じて殪るる者200余人、午前10時少将御船に入り、諸隊を集合し暫く休憩せしむ、
②(略)
●「西南之役懲役人筆記」12188028
28.同十八日官軍大挙三面より斉しく御船を攻撃す、勢い甚熾んにして諸塁悉く苦戦ならさるはなく、薩及我軍防戦二時間可り、遂に支る能はす、諸塁一時に敗れ潰ゆ、我九番小隊尤も困却、悉く河を游て遁る、官軍岸上より之を瞰射す、恰も浮鴨を射るか如く、河水為めに赤し、我軍輜重・軍実道路に遺棄し先を争ふて走る
▲画像は今年も春を告げる日木山(ひきやま)川沿いの菜の花。