★今の打ち込み作業から2023年03月20日 03:44:00

▲画像は今から取り掛かる作業の表(60名)の後半部である。画像の赤部分は今回の作業では除いた2箇所の1つ。それは兵士の出身地。これは多分別資料で分かるので不要と考えた。もう1つの年齢(享年)は特に関心はないので採録しないことにした。氏名、次に戦死傷の月日、その場所等を重要と考えた。
①作業の最初にまず「姓」を並べる。画像は済んでいる(60名の後半部)。空欄に見えるが、「名」を打ち込むと、自動的に「姓名」が並ぶようにしてある。
②表に見える服部宗之丞・花川次郎・花堂弥一郎・馬場篤志の4名を「まとめ」に入力して検索してみた。全員既に採録されている。2名は出身地も分かる。
③4名をファイル「21⑦2020▲西南3資料(日付順)0310」(エクセル3万1997行)に入れてみた。馬場篤志が1件検索できた。これは隊編成時の資料である。
●3.十三日雪天 
一当日ハ午ノ前七時、旧練兵場江隊中出張可致段被仰渡候ニ付右刻限出張申候処、隊與相成、拙者共儀一番大隊六番小隊二番分隊ニ相成申候、其與合、中村重安・馬場篤志・春日松太郎・中村左膳・下拙也、外ニ同大隊同小隊之壱番分隊江愛甲隆平・中村重恒・久木元延・加治木賢六・中村五六也、十時比問屋江罷帰申候 (以下略)
◎これは2月13日の編成の記事(日記)で、一番大隊は2月15日熊本へ向かう。日記の主「下拙」を除く4名のうち、私の表では戦死者は「馬場篤志」のみである。命日は今作成中の表では3月14日、作成済みの私の表では3月25日である。

★パソコン&いろいろ2023年03月02日 20:51:09

▲FRONTIER機は突如起動時のサインインが出来なくなり、半強制的にパスワードの修正を求められ、応じた。以来起動時にパスワードの入力をするため、少し長い文字を入力しなければならなくなった。
▲mouse機での起動時の異音はほぼなくなっている。また終了時無理にボタンを押して強制終了することは絶えてなくなった。代りにDELL機が起動時に必ず少々の異音を発するが、これはモーター音と考えている。
▲西南の役の西郷軍戦死者の特定、特に戦死月日とその地名を探る作業は、私の作成した資料の「西南之役懲役人筆記」と「日記日誌」にある記録からの入力作並びにほか資料との比較検討作業は終った。エクセルに12資料の延15112行の資料が並ぶ。最後に別な資料を追加したいと思い、そのエクセル化を試みた。これは失笑に値する失敗に終わった。PDF化された資料ならエクセルにできるとの情報を得て試みてうまく行かない。その理由が分からず悩んでいる内に分った。今回の資料はPDFの資料なのだが、実は「画像」(エクセルを画像としたもの)だったのだ。私の技術と所持するソフトでは無理である。結局、1ページに横に2つ並ぶ資料を、分割してA4各1ページとして見易くする作業を続けた。
①ほぼ2日間要した。画像をPrintScreenしてペイントに入れる、さらに切り取り別ペイントに入れる。作業効率から予めペイントを10個ほど並べて、作業する。そこで使いづらかったのがWindows11のDELL機。タスクバーが2段になるWindows10のmouse機で作業した。
②試しに最初のページにある人名28名を私の12資料からなる延15112行の資料に入れてフイルターしてみた。結果は、28名中8名が私の資料にはなかった。つまり私が今からこれを13番目の資料としてエクセル化したら、その3割が新しい資料として生きるのだが。
③私の資料を「延15112行」としたのは、名前が資料の中に重複して登場するからである。有力な隊長クラスの人物の戦死の情報は全12資料何回も登場するからだ。戦死月日も異なることも多い。本当の戦没者人数・人名・地名はとてもじゃないが解明はできない。大正年代の記録にさえ、「今となっては分からない」という風に記した記録もある。
▲画像は作業方法を示したもの。資料は私の作成した資料を左右に示した。タスクバーに並べた「ペイント」の数がポイント。

★FRONTIER機再使用へ2023年02月22日 09:17:00

▲画像は今回再使用に当って改めたデスクトップ画面。極端に少ないのはほぼ全ての古いデータを整理・削除したからだ。その作業は過日ほぼ一日がかりであった。最大の時間を要したのは過去から積み上がっていた「ゴミ箱」の整理であった。少しずつ消したり、まとめて消したりと。「まとめて消します」としても、機器が思うように行かない。何故かは分からない。つまりそういうことで消す作業を繰り返した訳だ。
▲起動、ゆっくりと待ってサインイン、ゆっくりと。何事も作業は急がない。今はDELL機で作業しながら、FRONTIER機から流れるフリオ・イグレシアスの歌を聴いている。ネット関係はケーブルで繋がっている。一応windows10にしてあるので使用に耐えるはずだが、あくまでも第三のパソコン扱いである。購入したのは2013年2月17日。今やほぼ絶滅している機種ではないのか。この2年後に買った東芝ノートパソコンは使用出来るが、USBポートは3つの内1つのみが使用可能で、それは専らマウス専用だ。CD・DVD機能は私が怒って・・・・・・・・した。
▲研究作業は困難を感じていた「西南之役懲役人筆記」関係の資料点検が終り、日誌・日記関係資料へと進み、快調である。その快調さの理由の一因は、作業関係数資料を全てこの資料に並べ入れることにしたことにある。今までは疑問点があるとそれぞれの関係元資料にアクセスして調べていた、その回数が減ったからだ。さらに検索の際「田中?左衛門」とか「?」を使うことで新しく入れ込んだ資料へのアクセスが可能になった。時には「?」を2つ使うこともあるが、これは使い方に一工夫が入る。「田中??」はまずい。
▲今警戒しているのは、エクセルでのコピー、そして一括ペーストだ。先日もまたミスった。今はコピー、下へ移動、そしてペーストと慎重にしている。たとえ10回であっても、一括ペーストはしない。
▲今、流れていたフリオ・イグレシアスの歌が切れた。「リソース・・・・・・・・・・」と警告があった。そこで再度立ち上げると、歌が途中でストップしていたので再開させた。何で???

★何故か戦死日付が「420」(4月20日)に2023年02月17日 12:30:18

▲前ブログと重複する。私の収集した日記・日誌50余と県史料からの千数百人の懲役人の記録は、日付を念頭にそれぞれ5689行、22559行に分断して並べてある。たまたま作成時に戦死者名を別欄に記していた。だから最後にこの2つを並べる作業は予想外に早く一応の完成を見た。
①今は懲役人の記録を元にフォルダーを用い、戦死者名の重複記事を選び、比較検討している。ポイントは例えば3件ヒットして3件とも日付が違うなら、相互比較して正解を見付けることが出来るかである。
②今日の表題はその作業中に気づいたことだ。何故か「420」が次々出てくる。私の常識では「420」は現在の熊本市と周辺をめぐる最後の戰である4月20日のことだ。{?}と思いながら「戦死地」を見ると違う。幾つかの経験から、これはエクセルのミスだと思い当たった。過去も経験がある。結局、ある資料部分の549件の連続行が戦死日「420」だった。それ以上にあるかは、①の作業過程でまた発見するだろう。
※原因はコピーとペーストの何らかのミス。経験豊富だが。今回も修正作業に1時間半かかった。
▲何故か、mouse機もDELL機も動きが共通する時がある。フォルダー機能を用いると。「○○%、4スレッド」(DELL機は8スレッド)と下に表示され、これが「80%」になると動作中の印である「砂時計」が消える。時には腹が起つので強引に1セルをクリックする。すると何故か「砂時計」が消える。私「壊れるなら壊れろ」。
▲日記・日誌は基本的に「日付」から始まるが、懲役人の記録は22559行の内、3000行余は未解明である。残念だが、今回の作業でその幾つかに「日付」できるかもと思う。ただ、それは私の資料のいくつかを丁寧に修正する作業があり、うれしいような憂うような。
以下はその資料の1つ。
15.亦々夜行して竟に小國(小国町)へ出、宮原町(小国町)は夜間通行し、満願寺村(南小国町)にて天明けしかば、一軒の離家に休息せしに、巡査躰の声にて、「只今賊両人此所へ参りたるや」と宿亭に尋問せしに、「此処へ参り候得共最早黒川辺へ参る比なるへし」と答へけれは、右の者は立去けり、暫らくして又々参り、「所々相尋候へとも踪跡分らす此処へ又々参り候ば詐り留置候様」申置立去候へとも、家居の回を取囲み農人を催し来り候気色に付、両人共刀を引抜き山手を指て飛出し疾走して馳去りしに、右巡査の追捕急にして中々可遁道無之故、路傍の木立岩石の際に伏せ待受候処、足形を繋き探の銃を発し捜来り、我伏居候岸上に農兵壱人立顕れ発砲し外の同勢を呼ひ、両三名も来り已に見出さんとするに付、源藏・宗太郎両人迚も遁れぬ処と、太刀真向に差挿み荊棘を払て大喝一声各姓名を名乗て飛出しけれは、巡査其外四方へ逃散たり、是に於て伊地知を呼へとも答へす、(中略)日の暮るを待ち穴を出て見しに人影も無く漸々少し心を安し往還の辺に出たり、洞中にて所持の餅を食し居たれとも夫も已に尽き餓に臨みける故、食を求んと近傍を尋れは幸ひ一軒の農家有り、行て見れは是なん先きに休息したる家なり、因て飯を炊せ一喫し濡れたる衣を燥かしなとして儒袢一つになり、暫く目眠たる間に、捕史数拾名来りて忽ち縛に就き、伊地知宗太郎は先きに追捕の為めに砲殺されたりと就縛の後承り申候、右形行奉上申候也、
▲画像は我が家の果実の今。

★西南の役戦没者解明へ挑戦2023年02月11日 23:39:09

▲先駆者2名の成果も利用させてもらい、解明を試みてみた。自分が郷土誌等を元に作っていた表を参考にしたが、統一する作業は試行錯誤の連続で、まとまった一覧表は未だ不完全である。しかし約一ヶ月でなんとか表らしきものが完成した。人名・戦死月日・戦死地名がポイントである。画像はこうして作成した延7271件から、西郷隆盛・桐野利秋・篠原國幹・村田三介に絞ってフィルターして出た表である。西郷・桐野に触れたのは「A」のみで各1件。意外に感じた。この表では主役は「緑」で「B」から「G」の7資料でこれは日記・日誌より作った表で、合計9件。最後「H」の3件は「西南之役懲役人筆記」からの資料である。表の再左にある数字は資料の種別で「1、2、4、5」からは4人にかんする情報が検索されなかったということだ。私は表は細かに「A」の資料のように作るべきと苦慮していたが、画像の「緑」と「青」が気に入っている。1箇所にまとまっているからだ。特に「青」は①戦死月日②資料名③内容④戦死者名(複数もあり)⑤資料番号がまとめてあり、大いに役立つ。
ところで私の好きな人物村田三介の記事の戦死月日が「303」・「311」・「312」となっているが、「311」と「明治過去帳」から作成した表にはあった。三介は植木で乃木の連隊旗を得た人物とされる。
▲フィルターは私の研究の中でよく利用されるエクセルの機能だが、最近時々機能しない時がある。あまりに長文を検索欄に入れる(通常4件)と1件しか反応しない現象に出会った。初めてそのような経験をした。それは直後に短い単語を4つ入れてフィルターしたら正確に反応したからだ。