★久しぶり重富への自転車行2016年02月10日 02:42:28

小丸川の小丸大橋より上流を見る
▲好天が続くので久し振りに市内西端の重富へ行った。JAの店に寄った。
深ネギが3本125円なので買って家人に話したら、某所では「100円」と言われた。私の感覚では現在は150円以上なのだが。高速道路に沿う形で遠回りして帰ったが、いずこでも住宅建設現場を見た。市内の旧3町の内、旧姶良町のみが人口増加中とか聞いた。まもなくイオンモールも完成する。一層増加に拍車がかかるのでは。とは言え私は加治木もいいと思う。我が家から自転車で5分前後で大川、滝、海がある。高速ICもあり、空港まで車で20分弱。やや大きな病院と高齢者施設は歩いて数分内にある。そして意外と桜島降灰の直撃が少ないし、あってもそれを運んで来た南風は翌日に雨をもたらす。
 帰宅後、2日前に剪定した庭木を細かく切ってゴミ袋3杯にまとめた。
▲以下は現在研究作業中の一部。資料は少し読み易くしてある。
●「二十三日(8月2日)晴、朝7時頃川の瀬破れ、よってこの所を退き、高鍋川に到るも、(官軍既に)高鍋に放火したり、舟渡しで渡り、津野に着、今日敵の追撃に遇也、渡し船(小丸川)沈没し、溺死者50名の由、夜半美々津に退く」
○高鍋川(小丸川)○津野(都農ツノ、都農町川北、国道10・県道40・302・310・都農川)
※1877年8月2日、西郷軍は佐土原方面から追われ、高鍋へ向かうが、官軍の追撃が早く、さらに北方美々津(日向市)へ走る。少し遅れた部隊は既に高鍋が陥落していたので大いに混乱する。
●「(前略) 高鍋城下を望めは官軍既に乱入放火し、道を遮るにより、味方の哨兵線内へ入ること出来ず、よって衆議紛々、或いは進入せんと云うもあり、或いはこの現兵により敵に当り斃れ尽さんと云うもありで、空しく時間を費す内に、官軍四方を取囲み、我隊同じく散乱す、自分には当所にて御召捕相成り、即日原村在留本部へ護送せられる」
※この人物は降服したが、同隊の某は「(前略) 自分には直ちに山中に駈込み、日の暮れるを待ち、深夜に至って右山中を忍び出る」と記す、そして帰宅する。

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