★久しぶりにWin10の話2016年02月15日 02:44:03

2006年撮影
▲過日弟が慌てて電話して来た。Windows 10を導入したら壊れたと。そして、土曜日の写真会に行ったら、「私のパソコンが壊れた」との話を聞く。詳しく聞く中で、両者に共通点があった。それは大手F社製のノートパソコンだった。たまたま偶然かも知れないが、壊れた状況が極めて似通っていた。
▲小生のノートパソコンもデスクトップ機も順調であるが、悩ましい問題を抱えている。それはPDFソフトが前世代のものであるからだ。事情は以前書いた(2015年10月17日)が、これを再び新世代版に替えるべきかどうか、バージョンアップの誘いが出るたびに悩む。それにどうしてそうしたかも分らないが、デスクトップ機は当然日本語版だが、何故かノートパソコンは英語版が入ってしまった。「簡易検索」が「find」となっている。まあ大した支障もないので、活用しているが。
▲以下は今日の研究作業から、ある日記による。文は読み解いてある。1877年8月4日。
※①兵糧不足②兵員の減少と合隊③桐野の言葉
●翌4日朝、元遊軍六番隊給養山下某が、我宿所に来たり、兵糧を乞う、よって本営たる河野・高城の所在を聞きしに、彼の本営は平岩村にありと、そこで急ぎ至りしに、桐野利秋・河野四郎左衛門(河野主一郎)・高城十次の3士に面会す、桐野曰く「旧佐土原と一ツ瀬川の戦いでは都城隊は取囲まれ、助かりしは1・2名位もあるならんと思いしが、何人程助かりしや」と、如何にも心配ありしならんと、その言葉聞きし軍中のその厚情は一層感激したるが、「ようやくにして23名は逃れ来りし」と答えしに、桐野曰く「自分も都城の人と云う若い人を連れ来て居る」とのことにより、誰かと見るに同隊なる財部市助なり、利秋の云うに「これまでの如くに兵糧も充分あらず、また兵員もこれまでの如く区別なくして、これから合兵隊となしたるにより、その心得にて尽すべし」と、そのところの縁側に麦麺箱が5つ程ありし、それを3箱位焚きて連れ越しの兵員に与えて、暫時休憩せし後は、本道なる美々津川渡し場の上にて、渡り来る敵を打止むる為め、河野四郎左衛門が松火矢(木製砲)を折角作製中に付、その所に操出すべしとのこと(下略)
●平岩村(日向市平岩、国道10・県道226)

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