★県下一周マラソン2016年02月18日 23:52:58

車のスキ間の1枚
▲胸に名札を掛けた人がいる。ひょっとしたらと考えて声を掛けてみた。「マラソンが来るのですか」。「30分頃に来る」とのこと。私は「30分後に来る」と勘違い。お蔭で約30分、国道10号網掛橋の上で寒い思いをした。応援に来て帰りは肺炎かと危惧しつつ。1時30分が近づくと周りに人が集まり初め、この橋上は「加治木奄美会」の横断幕や幟がはためき、熱気が伝わる。やがて、1位の鹿児島(鹿児島市)チームの選手が来た。早速写真を……。見事に失敗、写真には応援の小旗だけが写った。そこで橋の反対側へ行き、狙っていたら来た。何と繰り上げスタートとかで、団体で走って来た。撮影またほとんど失敗。今度は車に遮られた。 
ところで、3月の鹿児島マラソンは盛り上げている方がほとんどだが、私は反対。我姶良市からは普通道は2本の道しかない。肝心な国道10号は通行止めになるとか。やるなら鹿児島市の市道を用いてやればよい。 でも写真撮影には行こう。所詮この程度が私の哲学の限界だ。
▲以下は最近の研究作業から、ある日記に基づく。文は読み解いてある。1877年8月6日。
●8月6日雨、本日午前7時頃より、我隊守兵場右小隊一番・二番・三番分隊に間へ敵より相掛け、そこで戦争に及んだところ、しばらく相戦い、台場の間5・6間も敵より寄せ来るところ、味方より切込に相掛け、敵を打ちらし、その内第一大隊一番中隊より応援として来り仕合(幸せ)にてて、ともに切込み、賊死骸20名余内3名師官(士官)等相見得える、一の一中隊長と師官(士官)切合、敵師官(士官)を切殺し、一の中隊長は手負にて、我隊分捕多数あり、左の通にての間午前11時過ぎ敵を打ちらし、我隊右の守兵台場へ引揚げ、大勝利にて喜敷事(よろこばしきこと)にて仕合せに御座候なり(中略)●賊(官軍のこと)死骸20名余、手旗3本、七連玉1000発余、針打弾薬千発、時計2つ、刀4本、針打銃4挺、長七連銃10挺、腰具拾、短銃1挺但し中折弾薬付き、金50円但し隊附夫卒の分捕品、外套2・3着、喇叭1つ、手帳並びに書状無数、烟草入4・5、但し金具金銀、右本日矢ヶ内守兵場戦争にて分捕る(下略)

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