★「資料編」から「本文編」を作成し始めた2016年12月09日 01:38:18

開聞岳
▲「資料編」はワード版だが表形式である。元々はエクセルで作成したもの。「本文編」はこれの「表」を外して作成する。さらに「置換」を工夫して作業効率を上げた。
▲以下はその「2月22日~28日」編の中から。筆記人は薩軍一番大隊九番小隊に属している。文末の数字が「2」で始まるのは日記・日誌である。今はほぼ原文のままにしてある。初戦熊本城攻防戦が語られている。
▲⑩廿二日晴旧十日●午前五時各大隊(我隊出発後発するもの悉く程を兼て達す)攻口を部署し川尻を発し(頭注▲「後発隊出泉(出水)米ノ津より舸に乗し松橋に着し直に熊本に入る」)、熊基(従川尻二里)に向ひ疾走大呼する声海嶽を震動して須臾も間断あるなく、兵川尻より熊基(熊本)に相踵て雲霞の如し●而して我大隊は八幡山より攻撃の部署に当り、二品木街(二本木)より西に折し坪井川を渡り北向して花岡山(故祇園山と云)の半服(腹)を経廻し、其西北の支嶺に登り熊城に対し(距離五町許)小銃を連発す、城兵敵を四方に受け城上城下堡塁の銃眼より大小炮を斉発する音万雷よりも烈く、乾坤を震動し弾丸飛鳴し来ること大雨の注か如く、或は破裂弾四迸し屋宇石壁に触れ之を薤紛する音炮発の声と相和し、或は土藏を穿ち藏内に於て破裂し、火起て瞬時之ら蕩燼(尽)するあり、是際に当て城中を瞻望すれば、満城黒烟蔽塞して一物を弁たす、唯煙中より発射する数千の孔火雷閃するを視るのみ、時に午前六時三十分過なり【20050020】:(10)
※文中の当人の「注」にある「後発隊」は五番大隊と考える。