★地名実数確認作業続行中だが2017年11月20日 23:58:09

Googleマップで作成
▲時折疑問が沸く。例えば「重富」・「重冨」・「重留」は何れも姶良市の「重富」であるから、これを1地名とするか、3地名とするのか。今は3地名の方向で鋭意作業中である。この日扱った伊佐市大口の「小川内コガワウチ」を「オガワウチ」としていたため、修正作業に時間を費やした。この「小川内」は「小河内」・「小川路」・「小河路」・「小川」・「小河」の名もある。
▲この日は「小川・葉木(小川吐、旧西郷村田代、国道327・小川川・耳川)」という地名説明に少し疑問を感じた。「小川・葉木」のような表記は前例もあるが、「征西戦記稿」から得たこの「小川・葉木」は原本には勿論「・」などはない。私が分り易いようにしたものだ。「小川」も「葉木」も地名としてない。前後の文章にある地名は実在するので、「小川吐」を選んでいる。「征西戦記稿」編集者はこれを「オガワハキ」と聞き、文字「小川葉木」を当てたのではないか。そこで「小川葉木(小川吐オガワト、旧西郷村田代、国道327・小川川・耳川)」と訂正した。読み「オガワト」はMapion地図でバス停として確認した後、現在は「美郷町」となっているのでコミュニティバスのバス停一覧から読みを確認した。平凡社辞典には全く出ていなかった。
▲征西戦記稿」の地名はかかる例が多い。私の故郷の山「八重山(旧郡山町・旧入来町の境)」は「生山」と記されていた。「八重山」は今は「ヤエヤマ」だが、私は大人が「ハイヤマ」と言っていたとの記憶がある。多分その表現に合せて編集者が「生山」としたのであろう。「球磨川」も「球摩川」と表記されている。

★地名実数確認作業は後半へ2017年11月27日 02:44:06

▲作業もほぼ半分消化し、いよいよ後半へ向かう。気になるのは特に作業開始直後の多くに確認モレがないかという点だ。作業中遡って訂正することがあるからだ。それはそれとしてひたすら終りへ向けて鋭意努力あるのみ。当初12700あった地名は重複の解消で現在は11931である。11000にどれだけ近づくかが楽しみである。
▲この日の作業ではどうしても分らない地名があった。「清水」というそのの地名は宮崎県日之影町か旧北方町(延岡市北方町)にあるはずである。平凡社辞典・地理院地図やほかのマップでも出て来ない。一応「地名箋」にある「清水谷」を候補にした。
●原文「征西戦記稿」(8月)(文意はそのままに書き換えてある)
▲①12日別働第二旅団は進で宇納間に至り、13日第一旅団は劇戦して杉樹峠等を奪略し遂に曽木に入り、川を渡り舞野村を占め、また一軍は清水を歴て笠下村を定め、延岡を距ること凡そ20丁許の地に陣し、延岡左翼の山に哨兵を置き、14日各旅団と合して三面より攻撃す、海軍清輝・日進・丁卯・鳳翔諸艦もまた豊日間の陸地を撃ち、大いに賊勢を挫折せり※杉樹峠(不明、旧北方町か)※舞野村(延岡市舞野町、国道218・行縢ムカバキ川)※清水(「地名箋」清水谷シミズダニ日向臼杵郡黒木村、旧北郷村黒木クロギ)※笠下村(旧北方町笠下、五ヶ瀬川・笠下橋)
現美郷町北郷に属する黒木から北へ向かう県道20号を北上する。五ヶ瀬川に出る前に、県道49へ右折すると延岡市北方町笠下へ出る。文中の「また一軍は清水を歴て笠下村を」ならば、「清水」あるいは「清水谷」は美郷町北郷黒木と延岡市の境辺にあると考えられる。
▲画像はある日の庭の風景。一枚の枯葉がクルクル回っていた。よく見ると細い蜘蛛の糸に支えられていた。よじれて糸が切れることはないのか。