★お盆前から続く作業2017年09月01日 10:06:41

新ハガキと昭和最後の年賀はがき
▲お盆に遠方の家族が帰って来た。その受け入れ準備作業は同時に家中の大掃除をすることになってしまった。部屋の模様替えとして本や書類を移動させるうち、多くを不要と解釈した。結果、私の研究関係のプリントの多くは、今や研究が一段落したのでごっそりチリ箱行きとなった。そしてお盆が過ぎた今も引き続き家中の紙類を整理している。そして気が付いた。入れ物つまり本棚があれば本がいつまでも鎮座している、入れ物を減らせば必然品物は減るという事実だった。そして今日も、本棚が1つ、本棚と側机兼用の品が1つ、共に破砕を待っている。
▲また、今まで溜まっていた各種電気・電波関係の諸品の廃棄作業もあった。先ずは今は本来の目的の器体はないが、何故かいつか役立つと思い残してあった電源ユニット。次に何故か4つもあるパソコンとディスプレーと繋ぐディスプレーケーブル。長短入れ混じった音楽用のAVコード・ケーブル。不要になったテレビアンテナの長いケーブル。他にもいろいろあるが、合わせて危険物収集日にゴッソリ廃棄した。
▲異種作業もあった。
①実家の神棚にあった曾祖父・父の写真は、共に小さかったので、神棚新調に合せて、写真屋にお願いして少し大きめにそして白黒はっきりとした写真に生まれ変わった。3000円弱。お盆後にそうしたのが唯一のミス。
②実家から持って来た書類等の整理の過程で古いハガキが数枚はさまっていた。郵便局は取り替え可能と言ったが、昭和64年の年賀はがきなので、迷っている。昭和64年は1月7日までだった。
③昨夜始めたホームページ改修作業は深夜まで続いた。何回もミスを重ねてやっと改修後のホームページが出て来た時は感激した。ミスはノートパソコンに導入したソフトを、削除してデスクトップパソコンに新たに移し替える作業だったので、削除とインストールの順序が違っていたことによる。

★予備バッテリーとBluetooth製品購入2017年09月04日 15:37:30

ソニーのスピーカー(赤)
▲新従機マウスコンピューターのバッテリーを追加して買うことにした。メール・電話のやり取り数回。ある日「送った」旨のメールが届いた。送り元の位置からして数日かかると思っていた。ところが次の日朝に代金引換えの運送業者から「今から持って来るが」と電話。7000円余の金額を準備して数分したら届いた。早かった筈だ。航空便で送られて来たのだ。鹿児島空港から15分の我が家の位置がよかったのか、そうした対応が普通なのか。
▲Bluetooth製品は音楽関係の機器2つ。メインはソニーの数cm角の可愛いスピーカー。もう一つは従来のスピーカーに繋ぐためのもの。この2つは近くの電器量販店に頼んで、取り寄せてもらった。結果的にこれは正解だった。代金を揃えて電話を待つという手間が不要で、しかもカード払いで購入したので店のポイントまで付いた。さらに保証も付くという。
 ソニーのスピーカーは簡単な操作ですぐ使えるようになった。家中赤色の小さな機器を持ち歩いて見た。どこでもOK。音と一緒に歩くという経験はウオークマン以来だが、イヤホンではないので新鮮だった。私の雑草刈りにも連れて行けそう。ところで我が家には子供達が使ったテープ・CD・MDなどの各種音楽機器が残されている。全ていつでも使用できる。

★地名修正作業進まずに2017年09月12日 12:59:32

▲この数日やっているのは、私が資料から抜き出して記録した地名総数30000余から、重複を除く実数を確かめるための作業である。例えば「川尻」(熊本市)などは2月から4月までほぼ毎日記録に出てくる。その日の官軍側と西郷軍側でそれぞれ1回は記述されることになる。後には西郷軍側は鹿児島・熊本・宮崎等に分類して重複させたので数回記録されることになる。私の記録を見て、戦跡を巡ってもらうにはこの方法が良いと考えたから、くどいくらい繰り返し地名を入れてある。
▲そこで作業は以下の手順で開始した。
①先ず「地名検査一覧表」にある2シートの記録を1シートにまとめる。
②次に、地名には必ず先頭に「※」印がある。そこで「※」を念頭に、「データ」、「区切り位置」の機能を用いて、セルに地名を自動的に並べる。確かこの時33000余あったが、うち地名以外のものが2300余あった。これは「※」印を注釈、追加資料等の説明文の文頭にも付けていたのが原因である。別な記号を用いるべきだったと反省。
③ともかく30000余の膨大な地名が羅列している。この地名をタテに一列にコピーして並べていく。同時に「地名検査一覧表」の全体番号、部別番号、日付、記録内容も付ける。最高26個の地名があったのでこのような記録も26回コピーされたことになる。
●画像説明:
画像内では最多地名数は17個(地名17まで)。ほかは8個から11個までが並んでいる。これが地名1列、地名2列……とタテ1列に並ぶ。
④ここで問題に気づいた。実は相当数のブランクセルがあり、何故か地名はあるがその説明文が付いていないセルがある。すぐ分った。ブランクは「※」印はあるが何も書かれていないことが原因。また地名のみあるのは「※地名」となっていて説明文が抜けている箇所である。
 そこで今やっているのはこの2つの問題の解決のための作業である。神経を使う面倒な作業である。修正は常時4ファイルを行き来して行う。今日はさらに8ファイルを巻き込む作業まであった。理由は原本と違う記述が見つかったからだ。その1つは「杵野」だ。地名と解釈していたが、念のため原本と照合したら、「桐野」(人名)だった。文字ミスは入力ミスではなく、明らかにスキャナーミスに起因する。
~作業は続くよ、どこまでも・・・・・・・・・~

★地名の実数確認2017年09月16日 10:38:59

待ち構えて撮った蝶(我が家)
▲資料から抜き出した地名の総数は30726個となった。当初の表中にあった数字からミスの2500余を除外した結果の数字である。ここでいう地名には山名・川名・橋名等も含まれる。この中からその重複する地名を整理して出てきた地名の実数は9723個。そのうち「地名(不明、……)」となっているもの1247個。つまり12.82%が不明なのである。
▲実は直後に不明地名は1246個に。1個解明できたのである。その地名「内木場」は文章上では「翌26日、永吉郷の内木場村へ転じ、この所にて隊を解きたり」となっていた。一番のミスは私が「永吉郷の内」の「木場村」と解釈したことにある。これを「永吉郷の」「内木場村」と今回考えた。お世話になったのは角川の地名辞典である。「小字一覧」を見ることにした。そこで先ず「吹上町」(現日置市)を探す。というのは小字一覧に市町村名の目次ページがない。一枚一枚めくりながら町名を探す。繰り返し探し続けてやっと町名にたどりついた。今度はその中の「大字」毎にある「小字」を目をこらして探す。そして偶然「内木場」が目に入った。「旧吹上町大字与倉字内木場」となる。地理院地図に見えるいくつかの付近の地名も「小字」として見える。かくして一つ解明できた。しかしこれは私の当初のミスがなければ最初からこうなっていた筈だ、反省。
▲この記録者は1877年6月24日の官軍の鹿児島総攻撃で、鹿児島市の「涙橋の戦」で敗れた。恐らくそこから背面の岡である「紫原ムラサキバル」へ登ったのだろう。そしてさらに西の旧松元町春山へ着いたのが25日。翌26日その一行は南下して伊作(イザク)へ出ることにした。そして着いたのが「内木場村」だった。ここで彼等一行は隊を解く。この記録者はこの後故郷枕崎を目指してさらに南下する。

★地名不明解明作業へ2017年09月18日 20:07:14

開聞岳
▲実は地名実数調査に取り掛かった時には想像以上のミステイクが見つかり、我ながら唖然とし、落ち込んだ。ただその過程で幾つか地名解明に繋がったことがわずかに救いとなった。不明地名解明の作業は今度は地名実数調査に用いたファイルを使って新たに取り組み始めた。早速大改訂をしなければならなくなった。
▲それは「▲①7月10日晴天、同所にて大場合戦に及ぶ」という(日記・日誌)記録を見た時だった。散見する「大場」は全て「大場(不明、……)」とか文末の「※意味不明」となっていた。記録者は時に「大場」の文字を「延岡大場」とか「伊勢大場」と記している。やっと思いついた。「大場」は「台場(ダイバ)」だと。台場は戦いの基地・起点・砦を意味する。
▲次に「▲①7月8日晴天、高中の向美々津の釘山にて合戦に及ぶ」とういう記録である。「美々津」といえば今は日向市美々津であり耳川の終着点であり、古来交易の盛んな港町・宿場町であった。そして前後の「高中」も「釘山」も不明のままである。何かヒントはないかと、地理院地図上をあちこち見る。そして目に付いたのが今は延岡市となっている旧北方町に「美々地」があった。「美々津」がそれを誤記したと考えると全てが理解できるようになる。五ヶ瀬川・綱の瀬川沿いの地は高千穂町方面から攻めて来た官軍第一旅団と西郷軍の激戦が続いていたから、その筋書きに沿う記録となる。そして「美々地」の西にあるのが「槙峰銅山」である。私は先に記した「釘山」は実は「銅山」であると結論付けた。この銅山は三菱会社所有で近年まで維持されていた。そして記録者は「銅山大場」とも記している。かくしてこの記録者の記した「大場」は全て書き直しとなった。ワード1、エクセル3のファイルの修正作業に夜分3時間半費やした。
 前日作成した新DVD配布版は改めて修正することになった。できたら「高中」がどこなのか分れば100%だったのだが。
※画像は久しぶりに撮影できた。別府川河口から見た開聞岳。家人が言った「台風一過」の言葉がヒントになった。