★偶然ある不明地名に当る ― 2018年01月11日 02:33:26
▲所用があり、鹿児島市の某所の付近の地図や駐車場の有無を知る必要があった。当然出番はGoogleマップである。駐車場を一つ二つと見比べていた。するとそこに「広馬場」との文字が見えた。
それは以下の資料にある。
●同十二日小雨旧十二月三十日
一、今日十時頃、練兵場出頭すべしと承り、浜崎、百枝、拙者には同列出頭候処、我々とも(共)組は第三の十番小隊編入相成、尤今日より広馬場小学校へ転営し一編賄等相成候事※広馬場小学校(不明、平之馬場小学校か)【20007003】:(1
文中の「広馬場小学校」は分らないが、地名としての「広馬場」が判明したのである。これは町名ではなく、通りの名称であり、「広馬場通り」と称される。これは石燈籠(いづろ)の電車通りから1本海岸より(東側)にあり、南北に走る。地図上に見つけた「広馬場」は東西に走る「ボサド通り」との交叉する地点にある「広馬場通り交差点」の名称であった。この発見はまったくの偶然である。まさに今年にふさわしい「犬も歩けば棒に当たる」とはこのことであろうか。
▲資料の筆記人達3人は西郷軍の三番大隊十番小隊に組み込まれ、大隊長は永山弥一郎、小隊長は阿多壮五郎である。鹿児島を発したのは1月16日。記録は「今日より広馬場小学校へ転営」とするが、その前に宿していた所は記していない。残念ながら小学校跡地はまだ不明である。そこで私の地名訂正は以下のようになった。ただ「不明」部分の解明作業はなお続く。
※広馬場小学校(不明、鹿児島市大黒町広馬場通り、広馬場通り交差点)
それは以下の資料にある。
●同十二日小雨旧十二月三十日
一、今日十時頃、練兵場出頭すべしと承り、浜崎、百枝、拙者には同列出頭候処、我々とも(共)組は第三の十番小隊編入相成、尤今日より広馬場小学校へ転営し一編賄等相成候事※広馬場小学校(不明、平之馬場小学校か)【20007003】:(1
文中の「広馬場小学校」は分らないが、地名としての「広馬場」が判明したのである。これは町名ではなく、通りの名称であり、「広馬場通り」と称される。これは石燈籠(いづろ)の電車通りから1本海岸より(東側)にあり、南北に走る。地図上に見つけた「広馬場」は東西に走る「ボサド通り」との交叉する地点にある「広馬場通り交差点」の名称であった。この発見はまったくの偶然である。まさに今年にふさわしい「犬も歩けば棒に当たる」とはこのことであろうか。
▲資料の筆記人達3人は西郷軍の三番大隊十番小隊に組み込まれ、大隊長は永山弥一郎、小隊長は阿多壮五郎である。鹿児島を発したのは1月16日。記録は「今日より広馬場小学校へ転営」とするが、その前に宿していた所は記していない。残念ながら小学校跡地はまだ不明である。そこで私の地名訂正は以下のようになった。ただ「不明」部分の解明作業はなお続く。
※広馬場小学校(不明、鹿児島市大黒町広馬場通り、広馬場通り交差点)