★その不明地名の続き2018年01月13日 11:17:15

大黒町・松原町・南林寺町
▲私の不明地名調査用ソフトは配布用の「地名実数」ソフトから抜き出して作成したもので、名称は「不明地名手配用」と名付けてある。これは日付順に並べてあり、先の「広馬場小学校」は12日、今回の「広馬場」は16日、なので近くに並んでいなかったのでつい見落としていた。「広馬場」についての資料は以下の通り。
●同十六日三番大隊・四番大隊迄四千人、加治木街道行、今日も病院へ出張、夫より井上英武同道にて廣馬場鱣(鰻)屋へ行、煙草屋にて取入、石燈爐通より諸方に行、問屋へ帰る、晩十一時比、松原通にて短筒六眼銃取入、六円二十五銭價※広馬場(広馬場通り、鹿児島市大黒町の南北の道、広馬場交差点)※石燈爐通(イヅ゙ロトオリ、鹿児島市泉町・堀江町の間の道)※松原通(松原通町マツバラトオリマチ、鹿児島市松原町・南林寺町、松原神社・旧南林寺、鹿児島下町シモマチの南限)【20002016】:(1)
◎「広馬場」は不明地名としてあったが、ここではすでに訂正してある。
▲この記録の「三番大隊・四番大隊迄四千人、加治木街道行」の文からは共に加治木方面に向かったと読み取れる。実際は16日は三番大隊は伊集院方面へ、四番大隊は加治木方面へ向かった。筆記人は翌17日に西郷隆盛一行・薩軍砲隊と共に加治木方面へ発する病院関係者の一員である。記録には「鰻屋」、「煙草屋」とある。また松原通(広馬場から徒歩10分圏)では6連発拳銃を購入している。それが私の好きな西部劇に出てくる拳銃なのかどうか。その値段「六円二十五銭價」は、当時米1升(1.5㎏)10銭と仮定すると、1円はその10倍で米15㎏に当たる。現米価でご想像あれ。私の家での例で計算すると我が家の経済状態が分るのでしない。いずれこれらに関する店について調査できればと思っている。
※画像は地理院地図で作成した。