★人吉陥落す&蝶2018年09月27日 21:48:23

★人吉陥落す&蝶
▲以下の資料は私は1877年6月1日の人吉陥落に配置したが、その前後を含む内容のようである。
●6月1日、官軍山田原の我軍を襲ひ敗て直に人吉を陥ひる、抑山田原たるや丁額口の戍にして人吉を距る凡そ里余、人吉咽吭の地なり、是に於て我軍急に兵を配て應戦要撃す、而て此日や暁霧深厚遠近模糊として一歩を違えば幾んと人行を見る能はす、只行弾の方位を認て逆撃する而巳、官軍機に乗し三面齊しく吶喊して迫る、我兵勇猛戦闘すと雖も官軍既に山を草ふて進む、我軍遂に支る能はすして走る、各將切歯指揮すと雖も潰兵既に沓至して又如何ともすへからす、遂に人吉に退きたり、官軍追躡して亦人吉に迫る、抑人吉の地たるや求麻なる東西の河流ありて以て人吉を中分す、北は市街南は士邸、而て川の中央に一洲あり、之に架するに二大橋を以てし、橋の東面南堤に沿ふて人吉の旧城あり、是に於て我軍遂に川を南渡し、橋桁を撤し城址に拠て戍る、礟銃は山に觸れ壑に響き天地為に震動す、急発劇撃勝敗更に決せす、時に官軍は南堤に拠り火弾を連発して我営を放火す、煙焔噴起空に漲り連焼して幾んと餘す所なし、而て機械及ひ硝弾等の運輸畧々尽るを以て、全軍に令を傳え大畑(人吉を去る二里余)に退営す、此戦や淵邊高照既に山田原敗報を得るや奮起して一隊の兵を將ひ赴援せしに途にして既に敗兵潰走す、是に於て咄嗟馳駆兵を指麾するの際銃丸に重傷をうけ而て遂に死す、其他我軍の死傷頗る夛し
※現人吉市の当時の情景も巧みに表現されている名文と思う。西郷軍関係資料は私の「球磨川・人吉戦」分類では110件ある。異常に多い。それだけ激しい戦いが展開されたと考える。最後にある「淵邊高照」死去は5月30日とされている。しかし、31日、6月1日関係資料にも出ている。
▲散々なイジメをワードとエクセルに受けたが、今日は一つだけよかった。ついにあの黒い蝶が私のカメラにおさまった。しかも私の周囲を飛び廻って見せた。何回も