★エクセル関数「XLOOKUP」ほか2021年03月27日 04:35:11

▲最新の「日経パソコン」誌を寝ながら見ていて、一瞬目が釘付けになった。「XLOOKUP」とあったからだ。その記事では理解できないのでネット情報で少し調べて見た。私がよく使うのは「VLOOKUP」関数。それをを更に便利にした、2019年以来の新関数とのことだ。しかしよく分らない。ただその情報にあった方法で、調べたらmouse機では使用できるようだが、DELL機では無理と分った。購入時期はこっちが新しいのだが。今特に必要とは思わないので使うことはないだろう。それより「HLOOKUP」関数に慣れるのが先だろう。ほとんど使ったことがないので。
▲桜満開の所を探して走り廻っている。私のその基準は、枝の一番先端の蕾が開いているかどうかである。この日は精矛(くわしぼこ)神社と参道がほぼ満開であった。完全満開には後2日必要かも。例年桜見物客の宴会場になる網掛公園は満開にはもう少しかかりそうだ。また私の記憶ではいつもこの時期は宴会用の電球線が設置されていたのだが。数年前、見物に出かけたら、猛烈な白煙が取り巻いていて、桜は見えなくなっていた。バーベキューの煙だった。以後そういう風景は見ない。
▲この日はここからすぐのショッピングセンターに行き、色々購入し、帰ろうとして、腕時計を見たら、思い出した。36+3の特別列車が走る日で、然もこの近くに来る時間帯だと。そこで写真をと急いだ。すでに遮断機が下りて鐘が鳴っている。そしてすぐ列車が来た。諦めてはいけない。すぐ先の加治木駅では待ち合わせのため少しの間止まっている。そこで自転車で猛スピード、駅を過ぎて今日の撮影ポイントにしたい場所へ。着いたらもう動き始めていた。あわててカメラを取り出し、ポイントに立ち構える。ギリギリ間に合った。写真は腕前ではなく足前で撮ったようなものだ。

★広縁の鉢が庭へ出て2021年03月04日 23:25:12

▲ここは私の春・夏・秋のパソコン室である。冬の期間だけ我が家の庭の貴重な(?)鉢類が避寒して来る。例年は私のパソコンも同居していたが、昨年12月には思い切って鉢ご一同様に明け渡した。パソコンは居間の一部を借りた。このよさはテレビを視聴しながらでも作業が可能だったことだ。
▲今回の春からの広縁のパソコンをどう配置するか、思案数日。昨日と今日で新しい位置を定めた。
①先ず、昨日はパソコンデスクを自分の小部屋に移動させた。そこにmouse機を置く。今までの手作りデスクは不要になった。
②今日は、これまた広縁用の手作りデスクを新しい位置に置いた。極めて窮屈である。いわゆる工事用のコンパネを丁度半分にしたサイズであるからそれも当然である。そこで改造に取りかかった。
(ア)画像の上段は、改造の為めにコンパネ部分の切り落とし(30㎝弱)作業が終った直後、鋸が劣化しており、10分以上かかった。
(イ)もう一つの作業があった。パソコンの下にニトリの新品のマットを繋ぎ合わせて置くことだ。ところがこれと従前のマットと繋ごうとすると接合部分の形が違い、また全体も若干大きい。結局更にまた8枚(2組)買うことにした。
かくして画像の下段のような新しいパソコン室が完成した。ただここにはプリンターは今のところ置かないつもりだ。
▲「西南記傳」は、ここでは「西南之役懲役人筆記」の薩軍兵士の記録をほぼそのまま利用している。内容は1877年6月22日朝官軍が現姶良市重富の海岸へ押し寄せた時の薩軍側の記事である。
6月23日夜(22日夜の誤)官艦数艘、重冨郷の海濱に乗入り、払暁水霧に乗じて、軽舸数十隻より上陸攻撃す。味方之に応じ、発砲防戦すと雖ども、寡兵にして支ゆること能はず、遂に敗れて吉野本営に来報す。此時に当て、蒲生郷に粮米の蓄積・弾薬製造所の設あるを以て、敵に該地を襲れん事を慮り、直に松本(注:松元)某援隊を率ゐて、吉田郷に至て防戦す。味方別に遊軍なきに依り各隊より援(注:絞)兵し、漸くに一中隊となし本道を進むに、最早官軍白銀坂を越えて吉野関屋に進入す。(略)軍艦よりも烈く連発、味方四面に敵を受け支ふる『力』なく、午後五時比、終に下田・
◎記事の最後の部分にある『力』の部分は、「西南之役懲役人筆記」原本のカタカナ文では『力』、それをスキャナーはカタカナの『カ』と読み込んだ。ひらがな変換をしたので私の資料では『か』となっていた。実はスキャナーとOCRによる文章作成は楽であったが、このようなミスが多く、今もなおこのように発見される。他方、「征西戦記稿」は印字の関係で全て手打ちだったのでこのようなミスはないが、代りに文字見落としが時には2,3行に及ぶ。それもこれも今の「西南記傳」の作業中であったからこそ気付くことができた。改めてこの作業のよさを実感している。
◎文中の「注:」は原文に基づく。

★パソコン2台共にディスプレイで&画像2枚2020年12月12日 09:43:28

▲昼間はDELL機で作業する。今まではディスプレイを使わないために買ったDELL機だからそのまま使用していた。今回変更した理由は「西南記伝」のPDFが原因である。現認して打ち込みするには100%では縦行がきれいに出るが実に見辛い(小さい)。130%以上は欲しい。そうすると、見るために画面を常に上下させねばならない。他方mouse機は当初からディスプレイ(新:3年物)で使うことにしてあって、こちらは150%に拡大して使用できるので作業しやすかった。
▲そこで旧ディスプレイ(10年物)をDELL機で使おうとした。ところがこれは繋ぐには「HDMI」ケーブルのみだ。該当するのは新しいディスプレイだけだ。泣く泣くmouse機はそれを譲った。なお外付けキーボードはLogicoolの同じ物を使っているので、朝夕移動させることにした。今まではDELL機でいつもイライラさせられていたことがあった。それは通常「F8」を押して「かな」を「カナ」(半角)と変換することができるだ、DEEL機では、必ず「Alt」キーを押しながらでないとできなかった。それが今度は普通に「F8」を押すことでできる。
▲課題は2台共に同じキーボードを使っているので使うたびに持ち運びセットせねばならないことだ。そこで終に新品を買う決断をして某大電器店に行った。3000円前後から安くても2500円以上の品が並ぶ。目を疑った。何と820円(消費税込み)(サンワ製)が1つだけある。また「いつもの安物買い」と家人に言われるのを覚悟して即支払った。これが使って見ると実に使いやすい。mouse機で使うことにした。
▲再び36+3撮影に出かけた。狙い目は姶良市西端の重富だ。遠くの山々を見て、今日は見えると確信して開聞岳を撮影するポイントに立ち寄った。久しぶりに目にもはっきり見えた、今日はつきがある。すぐ自転車で急いで西へ移動する。私の今日の狙う撮影ポイントの所で列車の来る時間が近ずいた。そこで思川鉄橋で待ち受けることにした。少し早めにシャッターを切ってしまった。原因はポケットのスマホが鳴り出したからだ(人のせい?)。画像は両方をディスプレイに並べてプリントスクリーンして作成した。

★いつものことながらハガキ印刷ソフトは2020年11月15日 09:58:39

▲時期である。付き合いも減っており、相応するように年々賀状の数も減っている。かって150枚ぐらいを出していた頃とは違う。しかし、相変わらず印刷ソフトに頼っている。私にはその質が悪い、適さない。
①昔の年賀状には十二支揃えていたゴム印を押したものだ。今は選ぶに迷うぐらい十二支のゴム印(電子絵)が多種多様。
◎こんなものが何になる12個で十分。余計なことはするな。
②宛名に両名併記する。多くは亭主殿を立てて1行。その左脇に細君殿の名を記す。ところが私のソフトでは共に漢字2字なら、まあまあだが、漢字3文字だと、姓の横にまで出張って並ぶ。
◎腹が立つので、ついにはエクセルで作成してあったので、使おうとしたら、何故か郵便番号の設定がうまくできず、あきらめて印刷ソフトに従った。
③プリンターがキャノンとエプソンの各1台があるが、本年はエプソンを使っている。
◎何度使っても、先ずキャノンが優先され、即エプソンとはならない。オマケに「接続診断を」との注意まで出てくる。
④「印刷」と表示が3カ所ありどれからでもできるのであろう。
◎何故3ヶ所あるのか、ほかもいろいろ絶対使わない機能が多すぎる。
◎今時は、多くの人はこの時期にだけ使うのだから、もっと簡素化したソフトでいい。そういうソフトも使った経験があるから。
◎何で毎年バージョンアップする必要があるのか不思議である。
▲西南の役当時の日記資料を収集した。しかし私のその関係資料には追加しない。理由は西南の役の西郷軍側の資料ではないからだ。資料は西郷軍壊滅の日、1877年9月24日の記録である。
「●同廿四日曇後雨月暁四時相図砲声ス、夫ヨリ砲声盛ナリ、出張人数皆見物ニ出、早朝永安橋辺へ行候処、賊敗滅ノ報知アリ、故ニ皈ル、県令来ル、十二時後令同行、元浄光明寺へ行、死骸埋方、雨甚シ、夜入本皈ル、」
◎「出張人数皆見物ニ出、早朝永安橋辺へ行候」とある。皆今日が最後と知って見物に出てきた。記録の当人も橋まで行った。
▲どうやらいつもの蝶も見納めかと庭を眺めたら、いた。すぐニコンを掴んで、ガラス戸を開けた。途端に飛び立った。今日の画像は現在の最新画像である。

★地名解明作業続きと新踏切2020年10月06日 15:30:45

▲地名解明作業は一応の目的は達したが、今度は私が全く対応不能とお手上げの「✖」印1100件に無理を承知で取り組んでいる。最初取り組んだのはそのうちの「山名」に関するところだ。地理院地図を元に山の名に相当する高さの山を勝手に選び、ムリヤリ「○○山(186m、旧××町△△、県道□□□近く)」と書き直す作業である。しばらくやって「コリャだめだ」とこの作業はあきらめた。
 今は順序よくすべてを見て、なんとか「▲」印にするようにしている。その多くは「✖」印が「▲」印に替わるだけであるのが悲しい。
▲今日は最近完成した新しい踏切について記す。
画像にある踏切は「茶工場踏切」という。JR日豊本線姶良駅と帖佐駅の間の踏切の1つ。今まで向こう側とこちら側は金網で仕切られていた。その代わりに写真(上)の右(写り込んでいない)にあった、人が渡る狭い「茶工場踏切」があり、狭いのにやたら長い遮断棒(桿)があった。私はいつも元々はもう少し大きな踏切だったのだろうと想像していた。そして現在その元の姿に戻ったのだと思っている。以前よりより大きくなって。近くには現在は茶工場はないが、この写真撮影位置の後ろには生協、ダイソー、ユニクロなどが一体化している。私のお気に入りの自転車ルートでもある。
画像(下)に写り込んでいるのは特急列車。ズレを考えて少し早くシャッターを押した。