★今日の不明地名解明作業から2018年01月20日 01:10:13

小川内番所跡(伊佐市)
▲それは以下の資料Aにある「亀井坂」と同Bにある「神坂」は同じではないかと思ったことによる。なお、両方とも不明を訂正済み。またA・B共に日記・日誌(8ケタ数字が2で始まる)。
●資料A
同十七日旧五日●午前七時大口発程にて亀井坂乗越候処、先日よりの雪末だ消やらす、凡そ処によっては二尺余も降雪居処も有之、斥候三番四番隊は道路明に中々難儀に為有之由、肥後国境大概正午十二時比通行、夫より同国石坂与云宿江昼休、水俣宿江午後三時比着泊、今日の道程八里程※亀井坂(亀坂カメザカ、小川内から亀嶺キレイ峠へ向かう坂、旧大口市小川内コガワウチ)※石坂(イシザカ、水俣市石坂川イシザカガワ、国道268・石坂川)【20004003】:(1)
●資料B
一同十九日大雪●午前七時右同所より出立、小川神坂越方難儀雪壱尺余、夫より下り肥後之内石坂と相となへ、なんきなる坂にて水俣村崎良載所え一泊※小川(小川内コガワウチ、旧大口市小川内、小川内川)※神坂(亀坂カメザカ、小川内から亀嶺キレイ峠へ向かう坂、旧大口市小川内コガワウチ)※石坂(イシザカ、水俣市石坂川イシザカガワ、国道268・石坂川)【20052011】:(1)
▲そして今日は「亀嶺峠」という言葉を思い出した。平凡社辞典にアクセスしたら、その名の由来はここを越えた頼山陽が名付けてから通称になったとしてある。さらにその文に「亀坂」という語句が見えた。ここで私は「亀井坂」と「神坂」は両筆記人がそのように聞いたのであろうと推測した。また「亀坂」は旧藩時代の薩摩藩の国境を守る番所が旧大口市小川内にあり、ここから肥後藩へ向かう坂道と記している。薩摩・肥後の境目が「亀嶺峠」であり、一帯は「亀嶺高原」という景勝地として知られている。
※画像は小川内の旧藩番所跡地(Googleマップで作成)、石碑には「薩摩国小川内関所跡 昭和七年七月七日 蘇峰徳富正敬書」とある(平凡社辞典「小川内番所跡」の項)。すぐ前に伊佐市コミュニティバスの小川内バス停がある。

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